僕たちには 「吉田拓郎」 がいた。

吉田拓郎という歌手に出会ったのは1971年。
小学校5年生になったときだった。
6歳年上の当時高校生だった友達の兄貴が、たくろうかぶれでいつもレコードを聴いていた。
友達の家に遊びに行くと、兄貴に呼ばれ、「そこに座ってちょっと聴け!」とたくろうを聴かされた。
初めて聴いた曲は「青春の詩」
喫茶店に彼女と二人で入り、コーヒーを注文する。あー、それが青春!
南沙織が好きだった僕は、拓郎の歌を聞かされて、どうしてコーヒーを注文するのが青春なのかわからなかったし、だいたい早口と字余りで変な歌だと思った。
中学に入ると、どこのクラスにも拓郎かぶれが1人はいた。
中学3年生の時、クラスの加藤君がギターを学校に持ってきて、休み時間に教室で拓郎を歌っていた。
彼の口から「つまごい」「つまごい」と言う言葉が何度も吐き出されていた。
つまごい?
こちらとしては高原野菜で有名な群馬県の嬬恋村のイメージしかない。
どうして吉田拓郎が高原野菜なのかわからなかった。
でも、そのころから吉田拓郎の早口で字余りな歌詞の内容が気になるようになってきた。
僕よりすこし年上の人たちは、皆、吉田拓郎に夢中になっていた。
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朝日が昇から起きるんじゃなくて、目覚めるときだから旅に出る。
目の前のコップの水を一息に飲み干せば、傷も癒えるし、それからでも遅くない。
絞ったばかりの夕日の赤が水平線から漏れている。
土産にもらったサイコロ二つ、手の中で振ればまた振り出しに戻る旅に日が沈んでゆく。
僕を忘れた頃に、君を忘れられない。そんな僕の手紙が着く。
曇りガラスの窓をたたいて、君の時計を止めてみたい。
心が寒すぎて旅にも出れなんだ
あんたは行きんさい、遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるね―
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今でも会社へ通う車の中には吉田拓郎のCDが常備品として積んである。
時々聴くとはなしに聴いていると、当時夢中になったメロディーが今も僕の体の中を駆け巡っているのがわかる。
大きな会社に勤めている50代の人たちに尋ねたい。
あなた達は、今、若い頃の自分に再開したら、恥ずかしくないですか?
当時、毛嫌いしていたタイプの大人になっていませんか?
こういう人間にはなりたくないと思っていた人間になっていませんか?
安易に長いものに巻かれていませんか?
吉田拓郎の歌に夢中になった世代の人間として、今の自分は恥ずかしくありませんか?
あまりにも世の中の塵挨にまみれていませんか?
今、日本は、当時よりもはるかにおかしくなってきていると思いませんか?
それは自分たちがおかしくしているということに気づいていますか?
50代になって、会社の中だけでなく社会的にも責任ある立場になって、世の中を牽引していかなければならないはずなのに、会社の利己主義と自分の利己主義にまみれて、吉田拓郎から学んだ精神を忘れてはいませんか?
僕は、胸を張って言えます。
今も、あの頃の気持ちを持ち続けています!
たいせつなのは結果じゃなくて過程なんだ。
だから毎日、がむしゃらに頑張っています! と。
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徳間書店の友人が、1冊の本を贈ってくれました。
吉田拓郎 疾風伝
消え行く蒸気機関車を追って夢中になっていたときに、吉田拓郎の歌が流れていた。
自分はその時代の空気を確かに吸っていたんだと、良い時代を過ごせたことにあらためて感謝します。
50代のおじさんたちの中にも、確実に吉田拓郎の血が流れているはずです。
だから、みんなで一緒に、日本を元気にしましょう。
そうしなければいけないのです。
今日は文化の日。
僕にとっての文化は、70年代が起源なのです。