賃か代か

東武鉄道が将来的に切符というものを廃止するらしい。

切符、つまり駅の自動券売機で買う、あれ。
「あの紙切れを切符というらしい。」
という時代がやがて来るのでしょうね。

今の人たちはどういう言い方をするのかは知りませんが、昭和の頃、電車の切符を買うお金を「電車賃」と言いました。
汽車区間だと「汽車賃」。

これに対してバスに乗るときのお金は「バス代」
決して「バス賃」ではない。
タクシーのお金は「タクシー代」であって「タクシー賃」ではない。
電車は賃で、車は代なのか。

そうそう、どこかにお呼ばれした時などに支払われるお金は「御車代」。
昔だったら人力車の費用と言ったところでしょうか。

日本全国同じ言い方だとは思えませんが、少なくとも昭和40年代には私の周囲で「電車代」と言っていた大人はいませんでしたし、「バス賃」と言っていた大人もいなかった。

なぜだろう。

船で向こう岸へ渡るようなときのお金は「船賃」でしょうね。
でも、飛行機なら「飛行機代」でしょう。

運んでもらって払うお金だから「運賃」から来ているのでしょうけど、だったらバスだってタクシーだって同じなはずだしね。

でもって、そういうお金の総称を「交通費」という。
「交通賃」でもなければ「交通代」でもない。

う~ん、日本語って難しいですねえ。

でも、運んでもらうのに何でお金が必要なんだろうか。

というようなことを考えたことはありませんか?

鉄道会社の社長がそんなことを言ったら不謹慎だと言われるかもしれませんが、運んでもらってお金を払うというのは、川越人足に向こう岸まで運んでもらう時代の名残りのような気がします。

だって、皆さん、エレベーターに乗るときにお金を払いますか?
エスカレーターに乗るときにお金を払いますか?

んなもんはタダでしょう。

1960年代の高度成長期に団地と呼ばれる鉄筋コンクリートの、今でいうマンションのような住宅がたくさんできました。
当時の制度では5階建てまではエレベーターが要らなかったのです。
だから、多摩ニュータウンなどの団地ではみんな5階建てで建てられました。
そして、皆さん、エッサホイサと階段で上り下りをしていたんです。

1階、2階はまだ楽ですけど、4階、5階になると大変ですね。
でも、そういう健康で文化的と言われていたモダンな団地に住めるのですから、バラックのような長屋住まいから比べれば階段などは屁でもありません。
まして、上の階に行けば眺めがいいですからね。

でも、最初のうちはいいですけど、皆さんだんだん年を取ってくる。
そうすると階段を上るなんてことができなくなって、40年50年経つと、団地は廃墟のようになってしまいました。
後付けでエレベーターを取り付けたところはまだよかったですけど、それができなかったところは皆さん敬遠し始めたんです。

私は今、高層階に住んでいますけど、エレベーターにお金を払うという感覚はありません。
もちろん管理費は下の階に住んでいる方から比べたら数千円は高いかもしれませんが、気になるほどの金額でもありません。

エレベーターが無料だからこそ、高層マンションやタワーマンションというのが可能になっているわけで、もちろん経費負担は何らかの形でシェアしているとは思いますが、取り立てて意識するほどのことでもないのです。

つまり、エレベーターがタダだから、縦に発展していると考えることができると私は思います。

エスカレーターも同じですよね。
最近では動く歩道などというのもある。
羽田空港の第一ターミナルの場合、1番ゲートから23番ゲートまで1kmあります。
その1キロですが、まともに歩いたら15分はかかります。
まして荷物を持っているわけだから、歩けませんよ。
でも、動く歩道が整備されているから皆さん何の抵抗もなく歩いています。
そしてその動く歩道はタダです。
つまり、動く歩道がタダだから、横に広がることができるわけで、動く歩道が無かったら、あるいは有料だったら、敷地がどんなに広くても横展開はできません。

エレベーターやエスカレーターは国土交通省の管轄ですから、これは立派な交通機関。しかもタダ。

だとすれば、交通機関がタダだったら、世の中は隅々まで発展するのではないかと考えることができるかもしれない。
私はそう思うのです。

逆に考えると、初期の頃の多摩ニュータウンのようにエレベーターがない建物は皆さん敬遠されていったように、遠くて不便な田舎は過疎化が進んでいるのではないでしょうか。

東京生まれの私が田舎で生活していて思うのは、距離が離れているということがマイナスになっているのではないかということ。
遠いところへ行くためにはお金が余計にかかりますから、遠いところへ行く人は少なくなるのだと思います。
でも、タダにしろとは言いませんが、近いところも遠いところも同じ値段だったらどうでしょうか?
皆さん、できるだけ遠くへ行きたいのではないでしょうか。

だったら、この国が横展開できる可能性がそこにあると思いませんか?

田舎は遠くて不便。その言葉には汽車賃もバス代も、あるいはタクシー代もかかるから、それが不便だという意味もあると思います。
そうじゃなくて、例えば5000円で日本全国どこへでも行かれるようになれば、タダのエレベーターが縦方向に人の移動を促進するように、タダの動く歩道が横方向に発展させるように、この国全体がよくなるのではないかと、そんなことを考えるのです。

もちろん、その分の費用をどこから出すのかという問題はありますよ。
だったら都会の電車賃を倍にして、300円ぐらいにすればよろしいのではないでしょうか。
高いと思ったら歩けばよいし。
都会にはそれだけの利便性があるのですから、つまり、タワマンの高層階に住んでいる人が管理費が少し高いのと同じように、都会の人は抵抗感が出ない程度に少しだけ負担を多くすれば制度としては回るのではないでしょうか。

高層階が高いというのであれば低層階に住めばよいし、都会が高いというのであれば田舎に住むという選択肢もあると思うのです。

東京一極集中が問題視されていますが、どうして一極集中なのでしょうか。
それは、皆さん東京が便利だからでしょう。
仕事もあって、娯楽もあって。
だったら、その便利さにお金をいただけばよいのです。
家賃や住宅費が高いように、東京に住むこと自体を高くすれば、そのお金で田舎を維持することもできるでしょう。
まして、一度新幹線に乗ってしまえば、どこまで行っても同じ値段だとすれば、遠くへ行けば行くほどお得感が出ますから、距離感が逆にアドバンテージになる。

そろそろ、そんなことぐらい考えていかないと、ますます東京一極集中で、田舎がどんどん廃れていくと、私は思います。

別に東京に恨みがあるわけではありませんよ。
だって、東京は私の故郷ですから。

でも、日本全体を見たら、やっぱ、今のうちから何とかしないといけないのではないかと田舎にいる私は思うのです。

うまくまとまりませんが、東武鉄道のニュースを聞いて、そんなとりとめのないことを考える今夜でございます。


▲昭和の切符コレクション