全日空が、来年の夏スケジュール(2015年3月末~)から国際線の便名を変更するということが発表されました。
2014年夏ダイヤと2015年夏ダイヤの便名変更のお知らせはこちら。
国際線の場合、航空会社は通常、3月末と10月末の2回、諸外国でサマータイムが実施されるのに伴い、夏スケジュールと冬スケジュールという形で大きなダイヤ改正を行いますが、先月末、今年の夏スケジュールから便名が変更されたのに、来年の夏スケジュールでもう一度便名変更をするとはどういうことなのでしょうか。
一般の利用者の皆様は、あまり「便名」にはこだわっていないかもしれませんが、航空会社にとって、便名というのは実に大事なもので、意外と伝統的なんですね。
例えば、日本航空の場合、大きく分けると、100番台は東京―大阪路線、300番台は福岡、400番台はヨーロッパ、500番台は札幌、600番台は東南アジア、800番台は中国、900番台は沖縄など、私が中学生のころに飛行機に興味を持った頃からだいたい決まっているんですね。
アメリカへ行く便は一桁の便もあって、例えばJAL1便はサンフランシスコ行で2便がサンフランシスコからの便。
これも昔からそうですね。
伝統の便ということになるのでしょうが、そのあとのJAL3便、4便、5便、6便が東京―ニューヨーク間の便です。
そして、そういう若番を当てるということは、日本航空がアメリカ路線にどれだけ力を入れているかということがわかるんですね。
私が前にいた会社は、当時ロンドンからニューヨークへコンコルドを飛ばしていて、1日2往復のコンコルドの便名はBA1便からBA4便でした。
ところが、ロンドンから日本へ飛んでくる飛行機の便名はBA5便、7便で、日本からロンドンへ行く便名はBA6便と8便でしたから、そういう便名がついているということだけで、ロンドンの本社が日本というマーケットをどれだけ重要視しているかということを強く認識させられました。
航空会社がその路線にどれだけ力を入れているかということは、便名を見ただけでわかるということなんです。
全日空が成田からロンドンへ飛ばしている直行便は長い間NH201便という便名です。
パリが203便でフランクフルトが205便と、200番台の初期の番号が付けられていました。
成田からのロンドン便はもう20年以上になりますが、この春から全日空は羽田からもロンドンへの直行便を飛ばし始めました。そしてその便名はNH277便になりましたが、今回の発表はそのロンドン行の便名を1年後にはNH201便に変更しますよ、というお知らせです。
全日空の場合は、基本的に200番台がヨーロッパ便ですが、277便というのは、とりあえず空き番号を割り振った感じがして、航空関係者にはなんだか違和感があったのですが、それが201便になるということで、喉につかえていたものがスッと落ちたようにスッキリするのですが、20年以上も前から、ロンドン就航時からの伝統である201便という便名を成田便から羽田便に当てるということは、「成田からロンドン便はもうやめます。」ということになりますし、全日空としては、成田ではなく羽田に主眼を置いて営業展開していきますよと宣言していることなんです。
そして、そういう見方で他の会社も見てみると、日本航空だって中国便は成田便が800番台であるのに対し、羽田便は80番台の二桁の若番になっているわけで、これからおいしい路線はみんな羽田へシフトしていきますよ、と言っていることが、フライトナンバー(便名)を見ただけでわかるということなんですね。
航空会社の立場から物を言わせていただくと、空港公団の時代から成田空港は上から目線で、着陸料金も法外で、スロットと呼ばれる発着枠ももったいぶっていて、競争原理が全く働かず、そのうえ、未だに飛行場の中にポツリポツリと民家があって、開港から35年経ってもまだ満足なオペレーションができない非常に使いづらい空港ですから、航空会社としては、こういう空港とともに会社の運命を左右されても困りますから、当然、24時間オープンで利便性の高い羽田空港へという動きになります。
プロ野球のチームが、どこの球場を本拠地にしようかと考えるのと同じで、便利で使いやすく、協力的で、お客さんにとっても利用しやすいところが選択されるということなんです。
やたら足かせが多く、騒音問題や反対勢力など、地域も含めて非協力的で、それでいて料金が高いような商品では、そこしかなかった時代はそれで通用していましたが、利用者が選択できるようになると、お客様がいなくなるということなんですね。
千葉県民としてはさみしい話なんですが、今までふんぞり返ってきたツケを成田空港は今後数年で一気に払わなければならなくなる時期に来ているということも、フライトナンバーを見ただけでわかるということなんですね。
もっとも、私が見る限りでは羽田空港はいくら拡張したところで成田空港には及びませんから、成田空港にもまだまだ生きる道はあるわけで、それを実現するためには空港の完全オープンと、24時間化は必須事項なんじゃないでしょうか。
さて、飛行機の便名よりも、鉄道ファンの皆様には、何といっても思いが募るのは列車番号ですね。
列車番号というのは、「わかしお5号」、「東海1号」など特急列車の名前につけられている番号ではなくて、時刻表の上のほうに小さく書かれている運行上の番号で、100列車など、数字だけの番号は機関車が引く列車、100MとMが付くのは電車で、100DとDが付くのはディーゼルカーなどと決められているものですが、鉄道会社では正式にはそれが列車の呼び名になっていて、その路線にはその列車番号は一つしか存在しないものです。
例えば、国鉄時代の昔から東海道線の1列車は特急「さくら」号で、東京から長崎まで「さくら」は1列車ですから、東海道線だけじゃなくて、山陽、鹿児島、長崎本線と、「さくら」が走る路線では、他の列車は「1」という数字を付けることはできない特権的な列車で、私たちか子供のころから、列車番号を見ただけでカッコよかったんです。
東海道線の寝台特急は1列車が「さくら」、3列車が「はやぶさ」、5列車「みずほ」、7列車「富士」、9列車「あさかぜ」という時代が長く続きましたが、同じ寝台特急でも「出雲」は2001列車でしたから、急行「銀河」の101列車よりも格が落ちるんだと思っていました。
1972年のダイヤ改正で四国に特急列車が走り始めた時のこと。時刻表を見ていて高松発の「しおかぜ1号」の列車番号が1Dでしたが、同じ高松発の土讃線の「南風号」は11D。これを見たとき私は子供ながらに、国鉄は土讃線よりも予讃線の方が格が上の取り扱いをしていることがわかりました。
別に愛媛県より高知県を下にみているという意味ではないんでしょうが、輸送量からみて、予讃線の方が大きかったんだと思いますが、後年、予讃線が電化されたものの土讃線は今でも非電化でそのままですから、40年前の私は列車番号を見ただけである程度未来予測ができていたということになると思います。
私の大好きな東北本線では、当時、上野と青森を結ぶ特急「はつかり」が看板列車でした。
でも列車番号を見ていると「はつかり1号」が21Mで、夕方出ていく「はつかり5号」が1Mだったんです。
通常ならば「はつかり1号」が1Mとなるべきなんですが、1号は21M、2号は23M、3号が25M、4号が27Mと続き、夕方16時ちょうどに出る5号が1Mなんです。
当時は今のように列車名は上り下りで偶数、奇数ではなかったのですが、列車番号は下りが奇数、上りが偶数で、その「はつかり5号」が本当ならば29Mとなるところですが、実際には1Mだったんです。
なぜかというと、この「はつかり5号」で16時に上野を出ると、深夜の0時15分に青森に着いて、すぐの0時35分に出る連絡船に接続するんですが、この連絡船の便名が1便。4時25分に函館に到着すると、20分の待ち合わせで釧路行の特急「おおぞら1号」に乗り換えられるんですが、この「おおぞら1号」の列車番号が1D。
1M、1便、1Dとすべて1番の番号で乗り継いで札幌に午前8時50分に到着するこのコースが、当時、東京から札幌への最速列車だったんです。
だから、国鉄では列車と連絡船に1番と番号を振って、他の列車とは違うんだということを示していたと思いますし、それが当時の国鉄マンの輸送に対する力の入れ方を表していると中学生の私は感じていたんです。
だから、私は子供ながらに、将来は国鉄に入って、1Aという列車番号の「ひかり1号」を運転してみたかったんですね。
夕方16時に上野を出て、翌日の午前8時50分に札幌に着くのが最速だなんて、今では笑っちゃいますが、「札幌へ出張だ!」となると、少し早めに会社を出て、「はつかり5号」に乗れば、翌日朝1番で相手先の会社へ訪問できたのですから、国鉄挙げてそういう輸送を担ってたということで、国が総合交通政策を考えていたということが、今でもよくわかりますね。
そういう時代には今のように事業者にまかせっきりにするのではなく、北海道の鉄道にもしっかり国が力を注いでいたということなんですが、列車番号を見ただけで、飛行機も鉄道も、いろいろなことに気づくわけですから、交通の研究って本当に面白いと思いませんか?
ちなみにいすみ鉄道では土休日にキハで走る急行列車には100番台の列車番号を振っています。
これは、国鉄時代から100番台というのは主に急行列車に着けられる列車番号で、その列車番号を見ただけで急行としての風格を表していますが、大多喜―上総中野間の普通列車にもそれの番号を引き継いでいますので、急行列車以外でも列車番号が100番台であれば車両はキハであるということがお分かりいただけると思います。
列車番号や飛行機の便名ひとつ見ても結構奥が深いでしょう。
だからやめられないんですよね。
でも、私はマニアではありませんよ。
仕事でやっているんですからね。
ということで、私は今、羽田空港の国際線ラウンジでこれを書いています。
これから台湾国鉄との会議のために台北に飛びます。
自宅からは成田の方が近いんですが、飛行機の時間としては羽田に便利な時間の便がありますので、羽田空港を利用します。
成田を補完する機能としての羽田空港に留まっているうちは良いと思いますが、私が成田空港に勤務していた5年前までとは、航空業界の状況が一変していますので、やはり成田は正念場でしょうね。
それを乗り越える唯一の方法は、空港建設の経緯だとか今までのしがらみを云々することではなくて、利用者本位に徹することだけなんですが、わかっていらっしゃるでしょうか。
最近のコメント