大切なのはお金を持っていることではなくて  その3

子どもの頃、父の田舎の勝浦のおばあちゃん家へよく遊びに行きました。
両国からC57の引く列車やキハ28の急行や準急が走っていた時代の話です。
おばあちゃん家にはミシンがあって、父の姉に当たるおばさんが、いつもガタガタとミシンを踏んでいました。
机と一体になった昔ながらの足踏みミシンです。
おばさんは家計の足しにするために洋裁の仕事をしていて、最新の流行の洋服が出ているカラーの雑誌を見せて、近所の人から注文を取って、ひと月に一度、東京に出て生地を仕入れて、雑誌に載っているような洋服を、その人の体に合うサイズで作ってあげて、お金を稼いでいました。
当時の田舎の町では、今のようなセンスの良い洋服は売ってませんでしたので、農家のおばさんや漁師の奥さん連中にとって、おしゃれなスカートやワンピースなどは欲しくても手に入らなかった時代でした。
そういう時に、雑誌に載っているオシャレな洋服を、自分の体に合うサイズで作ってもらえるのですから、家計の足しとはいえ、おばさんは夜中までミシンを踏んでいて、布団に入っても、向こうの部屋からミシンの音が聞こえてきていたのを覚えています。
今思えば、結構繁盛していたのだと思いますが、新聞紙で型紙を作って、鋏で布を切って洋服を仕上げてしまうおばさんは、お金を稼ぐ能力を持っていたのですね。
私が商売に興味を持ったのは、親戚の魚屋へ手伝いに行っていたとこのことです。
私は、小学校5年生から世田谷の駒沢公園の近くにあった親戚の魚屋へ手伝いに行かされていたんですが、その頃の私は商売というのは「ずるくて汚いもの」と考えていました。
その魚屋ではおじさんがまだ暗いうちに築地の魚市場へ出かけて魚を仕入れてきます。
大きな魚は小さな切り身にして売るわけですが、例えば1000円で仕入れた大きな魚を10切れの切り身にして売るときに、おじさんは「1切れ150円」と板に値段を書き入れます。
小学生だった私は、1000÷10=100ですから、150円というのはおかしいと思って、おじさんに質問しました。
するとおじさんは、「俺は皆が寝ているうちに起きだして、市場へ行って魚を仕入れてきているんだ。」と言って、1切れ50円分はその分の手間賃だ、というようなことを言います。
私は、それがお客さんをだましているように感じて、商売というのは安く買ってきたものを高く売るのだから「ずるくて汚いもの」と考えていました。
その親戚の家は、当時は珍しかったすし屋と魚屋を一緒にやっているお店で、「魚屋の寿司」を売り物にするお店が今ではたくさんあることを考えると、当時からおじさんは先見の明があった商売人だったんだと思いますが、ある時、私はそのお寿司をお得意さんの所へ配達に行きました。
当時の世田谷はマンションやアパートなどもあまりなくて、大きなお屋敷ばかりだったのですが、そのお屋敷のお得意さんに配達に行って、商品を渡してお金をもらって「ありがとうございました。」と私が言うと、その家のおばさんも私に向かって、「ボク、ありがとうね。」と言いました。
その時、子供だった私は不思議に思っておばさんに質問したんです。
「おばさん、僕はお金をもらったから 『ありがとうございます。』 と言ったけれど、おばさんはお金を払っているのに、どうして僕に『ありがとう』っていうんですか。」
小学生の私としてはお金をもらう側が言うのが「ありがとう」で、お金を払う側は「ごくろうさん。」というのがふつうだと思っていたからです。
するとおばさんはニコニコ笑いながら、
「あなたがおいしいお寿司を運んできてくれたから私の家ではお寿司が食べられるのよ。あなたの家がおいしいお寿司を作るお寿司屋さんだから、私たちがお寿司を食べられるの。だから『ありがとう。』って言うのよ。」
と、こう言いました。
40年以上も前の小学生だったころのこの一言を今でも鮮明に覚えているのですから、当時の私にとってよほど強烈な印象だったんだと思います。
それまでの「ずるくて汚い」という商売のイメージが、私の中で完全に吹き飛んで、商売というものに興味を持った瞬間だったのです。
子どもの頃のその一言をきっかけに「商売」というものに興味を持った私は、自分の力で稼いでいくということに惹かれていきました。
当時、ドルショックやオイルショックという経済危機が次つぎにやってきて、物価はどんどん上昇します。
銀行の定期預金の金利が年間7%もあった時代ですが、銀行がそれだけ金利をくれるということは、経済のパイが膨らんで資金需要が旺盛であるということで、そういう時代は経済の拡大再生産が続いている時ですから、物価は金利以上に上昇していました。
そんな時に、サラリーマンの人たちは「生活が厳しい」といって、何とか安い店を探して買い物をするのが当たり前で、ちょうど先月末の消費税値上げ前の買い出しにお客さんが殺到するような光景が日本中で当たり前のように見られた時代だったんです。
でも、私が手伝っていた親戚の魚屋のおじさんは、「奥さん、困りますよねえ、こう何でも高くなっちゃ。」と言いながら、一切れ150円だった切り身の魚がいつの間にか180円とか200円になっているわけで、「魚も仕入れが上がって、私も困ってますよ。」と口では言っているけど、ニコニコしています。
そういう光景を見て、私が思ったのは、サラリーマンというのはもらったサラリーで生活しなければならない人種ですが、そのサラリーというのは必ず物価を追いかける仕組みになっていて、絶対に物価には追いつかないし追い越さない。
でも、魚屋さんなどの小売業者は、値決めを自由にできますし、仕入れにマージンを乗せるだけですから、物価がどんなに上がろうと、最初に自分の利益を確保することができる仕組みになっているんですね。
日本の税制を考えても、サラリーマンというのは源泉徴収されます。つまり、サラリーマンは稼いだ金額からまず税金を差っ引かれて残った金額で生活しなければなりませんが、個人事業主や会社経営者というのは、売り上げから先に経費を差っ引いて、その後に税金が引かれますから、サラリーマンよりも有利にできている。
そういう世の中の仕組みを高校生、大学生になるにつれて、私は発見し、将来自分が生きて行くためには、どちらが有利かを考えるようになって行ったのです。
(つづく)