お客様を疑うビジネス

たぶん日本に生まれ育った人は何の疑問も抱かないと思いますが、私が不思議だなあと思う鉄道会社の商売のやり方の一つに「お客様を疑う」ということがあります。
航空会社も基本的にお客様を疑ってかかりますが、それはセキュリティーのため。
よく注意して見ていないと、飛行機の中にいろいろなものを持ち込んで悪さをする人が多いし、他人名義のパスポートで密航を図る人もいっぱいいるから、そういう意味でお客様を疑ってかかりますが、鉄道会社はもっと手前の部分、商売の基本的な部分で、
「こいつ、ちゃんと切符持ってるか? 金払ってるんだろうなあ?」
と疑ってかかります。
だから、駅の入口で切符を見せて、車内で切符を見せて、到着駅の出口でもう一回切符を見せるようなシステムをまことしやかに大昔からやっている。
私はこれをかつての国鉄や警察がやっていた「おい、こら」システムだと思っています。
つまり、お客様や道行く人を最初から疑ってかかるシステム。
商売相手であるお客様を信用していない商売のやり方です。
商売というのは、どのような業種であれ、取引相手やお客様を信用するところからスタートするものだと信じている私にしてみれば、とってもとっても不思議な、信じられない商売のやり方に見えてしまいます。
都市交通ならカードをタッチするだけだからまだしも、新幹線のような長距離列車で、改札口の中にさらに改札口があって、列車に乗るまでに2回改札口を通っているのに車内でもまた切符を見せろといわれ、到着駅でも改札口を2回通るという、目的地までに合計5回も切符を出さなければならないシステムを、何の疑問を持たずに運営しているのを私は変だなあと思うわけです。
日本人はちゃんとしているから、到着駅まで切符を保持しているのは当然かもしれないけど、でも、たとえば飛行機に乗って目的地に着いた時に降り口で切符を見せろとは言われないし、高速バスも、船も乗るときに見せたら出口では見せないのがほとんど。
いすみ鉄道のような無人駅でワンマン列車ならお客様は切符を持っていないということが前提になるけど、新幹線とかは車内に乗っている人は切符を持っているのが当たり前なのに、
「こいつらは、ともすれば切符を持たずにタダ乗りする。」
という目でお客様を見ているわけです。
鉄道会社では、言うに事欠いて、車内で検札することを「お客様が間違えてご乗車されることを防ぐためにやっている。」なんてことを平然と言っている現場職員もいるようだけど、だとしたら、例えば東海道新幹線の「のぞみ」の場合、乗車口でドアごとに係員がもう一度切符を見せてもらうか、東京から新横浜までの間に全員の検札を終了していなければ、「誤乗防止」という言い訳は通じないのではないでしょうか。
私はこういうのを人間性悪説(※)というのだと思います。
お客というのは、ちょっと目を離すと「運賃、料金の支払いを免れようとする。」
こういう視点が見えるのですが、お客様商売は基本的には人間性善説でないといけないんじゃないでしょうか。
たとえばJR東日本の場合、指定券で指定された座席に座っていれば車内で検札は求められませんが、これはよくできている方だと思います。
でも、お隣の韓国でこの間特急列車に乗ったら、入口の改札もなければ車内でも出口でも切符を見せろとは言われませんでした。
韓国ではスマホで予約して座席指定してスマホでカード決済する。
駅の入口には改札口がない。
列車に乗って指定された席に座っていれば車掌は来るけど何も言われない。
到着駅でも改札口はなく、そのまま出ていく。
第一、切符というもの自体が存在していないわけです。
私たちが、日本より遅れていると思い込んでいる韓国でさえ、日本より数段進んでいるわけですから、日本の鉄道もいい加減どうにかならないかと思うのです。
そして、驚くのが、目的地に到着して改札口で切符を出すことができないとどうなるか。
「切符をなくした場合は、もう一度同じ切符をお求めください。」となっている。
東京から新幹線で名古屋に行き、名古屋駅で出るときに切符をなくしていたとします。
そうすると1万円以上の切符をもう一度買ってもらうことになる。
当然のことのようにそういう規則がお客様の前に出ているわけです。
でも、よく考えて見てください。
その人はどうして名古屋にいるのでしょうか。
東京で改札口を2度通り、車内でも検札を受けている。
つまり、新幹線で名古屋に来たということは、切符を持っていたということになるわけで、到着地までに3回も切符をチェックしているということは、そのお客様はすでに切符を持っていたことを鉄道会社が証明しているのと同じことのはずです。
それなのに到着地で持っていなければもう一度払ってもらいます。というような規則がまことしやかに掲示されているわけですから、驚いちゃうのです。
国鉄時代に、競争相手がいなかった時代ならともかく、飛行機や高速バスと競争している商売で、飛行機や高速バスが切符に対して緩やかなのに(出発地、到着地、車内などの各所で何度も切符を見せろと言われないのに)、鉄道だけが何回も切符を見せて、最後まで持っていなければもう一度払ってもらいます。なんですから、これは変なことだと思うのが自然なんじゃないでしょうか。
私など、飛行機に乗って座席までたどり着いたら搭乗券はどこかに行ってしまいますし、第一、最近はEチケットで航空券自体が存在しないので、切符のことなど気にも留めませんから、新幹線に乗るときだって、切符という意識がない。
車内で検札が来ると、「ああ、そうか。どこだっけ?」と探し回るレベルですから、いつ、もう一度買わされる羽目になるかわからないのです。
私は鉄道が好きで、鉄道の規則にも詳しいのですが、ふつうの人がもし到着駅で切符をなくしたことに気づいたら、「ごめんなさい。切符をなくしました。」と謝らなければいけない。
鉄道会社にご迷惑をおかけしたのならともかく、きちんと切符を買って、発駅で改札を通り、車内でも検札を受けてここまで来ているのに、何で到着地の職員に謝らなければいけないのでしょうか。
「1年以内に紛失された切符が出てきましたら、再購入された切符は210円の手数料で払い戻しいたします。」
ってのを読むと、「何じゃこりゃ?」と思うのです。
規則としてこういう言い方を掲示しているぐらいだから、「お前が悪いんだよ。」と、お客様に言っている商売だということに早く気付かなくては・・・・
と、私は思います。
でも、多分、無理だろうなあ。
学校を出て鉄道会社に就職される方々は、皆さん、優秀ですから。
鉄道会社の職員は、優秀な方々がご商売をされているから、よほど注意していないと、お客様を下に見てしまう傾向がある。
だから、お客様はともすればただ乗りするけしからん輩だ、と思われているんだろうなあ。
お店に入るときに手荷物は一切置いて、コートは脱いで、万引きしないように注意されて、レジでお金を払った後、お店の出口でもう一度レシートと購入品の確認をさせられるようなスーパーがあったら、あなたならお客様になりますか?
それと同じことだと私は思うのです。
いろいろ異論はあるかとは思いますが、いいかげん固定観念にとらわれるのはやめて、鉄道ファンの皆様も、世の中の他の商売のシステムと比べてみる必要性があるということだけはご理解いただけるのではないでしょうか。
これが意識改革というものだと思います。
ところでいすみ鉄道はどうでしょうか。
いすみ鉄道は改札口がありませんから、駅務職員がいる大多喜駅以外はフリーパスです。
車内では降りるときに運賃箱に運賃を入れてもらう。
でも、この頃のように、列車が混んでくると、確かにいますよ。
運賃を払わずに降りようとする輩が。
時々、運転士が「お客さん、切符は?」と少し強い口調で言うと、ヤバイって顔をしながら1000円札を出して両替する奴が。
小銭を用意していないから、最初から払う気がないんですね。
そういう奴は、きっと、タダ乗りできたら、「ラッキー」って得した気分になるんだろうなあ。
でも、それって人生の中で、取り返しがつかないような、大きな何かを失っているんだぜ。
だから、ラッキーなんてもんじゃなくて、本当はすごく損をしている。
若い人たちが、人生はそういうものだということを勉強するのも、ローカル線なんじゃないでしょうかね。
鉄道会社の人たちも、お客様も、長年当然のごとく行われている改札というシステムを日本人は誰も不思議に思わないってのが、私は不思議でなりません。
※ ご注意
ここで流用した人間性善説、人間性悪説は一般に広く使われている考え方を基準としたもので、孟子、荀子が唱えた本来の意味とは異なりますのでご理解ください。
ちなみに本来の意味とは
人は生まれつきは善であるが、成長するにつれて悪いことを覚える(性善説)
人は生まれつきは悪であるが、成長するにつれて善行を学ぶ(性悪説)
ということです。