社長の寿命

この間、いすみ鉄道沿線の大多喜町の皆さん(一般の市民の方々)と話をする機会がありました。
大多喜町の皆さんは、いすみ鉄道が元気になって、たくさんの観光客の人たちがやってきてくれることを大変喜んでくれていて、ムーミン列車や昭和の国鉄形ディーゼルカーが自分たちの町の中を走ることを、とても自慢に思ってくれていることがわかりました。
親戚や友達から、「いすみ鉄道がまたテレビに出ていたね。」と言われると、本当にうれしいと、おじいさんやおばあさんが目を細めてくれている姿に、私は感動しました。
いすみ市や大多喜町の人たちは、国鉄が廃止にした(つまり、国が見捨てた)鉄道を、自分たちの力で何とかやって行こうと、第3セクターを立ち上げて、今日まで一生懸命支えてきてくれたわけですから、そういう地域の皆様方が、
「いすみ鉄道があってよかった。」とか、
「いすみ鉄道はこの町の宝だ。」って言ってくれると、これまで鉄道を守ってきたことが浮かばれるわけですから、私としては、お役にたっているんだなあと、うれしく思うわけです。
その会合の席上で、1人の方から質問されました。
「社長さんは、いつまでいすみ鉄道にいてくれますか?」 と。
その方が、私に、できればずっとずっといすみ鉄道の社長でいて欲しいとおっしゃると、会場の皆さんは、ありがたいことに「そうだ、そうだ。」と相槌を打ちます。
でも、私は、ひねくれものですから、ニヤリと笑って
「そういうのを需要と供給の関係と言います。私に長くいてほしければ、私が長くいようと思えるような待遇でおもてなしをすればよいのです。」
と憎まれ口をたたいてみると、会場は大爆笑になりました。
私は、いすみ鉄道の社長として就任した時から、「今度の社長はいつまでいるのかしら。」と皆さんから陰口を言われていましたから、この地域に骨をうずめるつもりで仕事をしてきましたし、夷隅地域は私の父親の実家がある地域ですから、方言ひとつとっても、荒っぽい漁師言葉が父が話していた言葉ですから、耳に心地よく、素直に、良いところだなあ、と思いますし、ずっといられたら幸せだなあ、と思っています。
これは本心ですが、そういう私を見て、私よりもひねくれ度が強く、口が悪い人たちが何て言っているかというと、
「いすみ鉄道は社長でもっているんだよ。だから、あの社長がいなくなったら、また存続問題が持ち上がるんだ。」
ということ。
つまり、いすみ鉄道にとっての最大のリスクは、私の身に何かがあって、私がいなくなることだというわけです。
でも、私はビジネスを展開していく中でのいすみ鉄道の最大の弱点、というか危機管理の必要性に気づいていますから、皆様方に言われる前に、少しずつ対策を立ててきています。
仮にも公共交通機関である鉄道会社が、社長の力量ひとつで右へ行ったり、左へ傾いたりして良いわけありません。
だから、私は、いつ私がいなくなっても、会社が右往左往しなくて済むように、社内の体制を整えなければならないのです。
私がいすみ鉄道の社長に就任したのが2009年6月。
あと3か月で丸4年が経過します。
この4年間にやったことは、いすみ鉄道を存続させることはもちろんですが、会社の体勢を立て直して存続後の乗務員不足を補い、行き届いていなかった線路や鉄橋の修繕保守を徹底的に行い、数か所の踏切を改良し、新型車両を導入し、観光用の車両を導入し、売店を設置して観光鉄道で物販の強化を図るなど、売り上げも上げてきました。
それはいすみ鉄道社長としての仕事ですが、それだけではなく、地域密着型の鉄道として地域の人たちとふれあい、地域を浮上させる活動をし、停滞している地域経済に何とか新風を吹き込み活性化させる方法を探って、日夜動き回ってきました。
観光地としての魅力をプロデュースし、都会の人たちに夢を与え、明日の活力を得られるような、希望を与えるような展開もしてきました。
そして、今回のダイヤ改正で、平日は地域の足として、土休日は観光客を呼び込むツールとしてのいすみ鉄道の在り方を確立したところです。
自己評価というと手前味噌になるかもしれませんが、外資系企業出身の人間として、自分を評価するとすれば、私は200%以上の働きをしたと思いますし、年収で言えば3000万以上の仕事をしていると自負しています。
それだけ、自分は頑張ってきたし、自分の仕事に誇りを持っているわけですが、その私が、5年目を迎えるにあたり、やらなければいけないことは、私がいなくてもきちんと業務が回り、営業を継続できる社内の体制づくりなわけです。
皆様の中でご記憶の方もいらっしゃると思いますが、去年、就任4年目に入ってすぐの時に、出勤途中で追突事故に巻き込まれたことがありました。
幸いなことに軽傷で済みましたが、その事故をきっかけとして、私は、いつなんどき、私の身に何かがあっても、いすみ鉄道がきちんと運営できる体制を作らなければならないと考え、徐々にではありますが、いすみ鉄道のスタッフに、考え方や物事の決め方、商売のコツなどを伝えてきています。
売店の商品の開発や値決めの基準、取引の判断、キャッシュフローの考え方などはもちろんですが、鉄道部門に対しても、観光鉄道としての旅客の取り扱いや、サービスの在り方などを、ことあるごとに話をしてきています。
だから、いすみ鉄道のスタッフは、私の眼から見て、それぞれの職種の人たちが自分たちで考えて行動するようになってきています。
そして、それに伴い、私は自分自身で、いすみ鉄道の大多喜駅の社長のデスクに座っている時間を減らすようにしているのです。
そうしないと、みんなすぐ私のところへやってきて、「社長、どうしましょうか?」と言って聞いてくることになるし、それでは自分で考えるようにならないからです。
だから、例えば奥会津の只見線を応援に行ったり、若手経営者の集まりで講演をしたりと、他の地域でお役にたてることがあれば、喜んで出かけて行って、ご要望にお応えするようにしているし、その結果として、いすみ鉄道のスタッフは、各職場ごとに自分たちで考えて、自分たちで行動するようになってきているのです。
「社長ですか? さあ、いつ来るかわかりませんね。」
というのが、いすみ鉄道での今の私のスタイルとして定着してきているのです。
そして、新年度はさらなる事業展開を行い、会社の業績を上げるために、会社の組織を改正して、社長直結の戦略部隊を設置します。
そのために、4月から組織を改正し、有能なスタッフを2人採用し(1人はすでに着任済み)、営業戦略活動を積極的に行って行こうと考えていて、圏央道の延伸開業に合わせたビジネスプランを展開していくのです。
この形が完成すれば、社長である私が、出勤途中に交通事故であの世へ行こうがどうしようが、いすみ鉄道は、きちんと永続的に運行できる会社になるのです。
私のプランとしては、いすみ鉄道ぐらいの規模と業務量であれば、社長は基本的には週に2日も会社に行けば業務が回るようであるべきだと考えています。
月曜日と金曜の週2日です。
月曜日に1週間の指示を出して、金曜日にその達成度合いをチェックし、
金曜日に土日の営業の指示を出して、月曜日にその結果をチェックする。
これだけで会社が回り、さらに目標数字を達成できるようにするのが、私の社長としての目標です。
さて、そこで皆様方へご提案です。
私は、基本的には週休を必要としない人間です。
空港時代からシフト勤務で土日休みという感覚がありませんし、社長ですから毎日が仕事で、今日は定休日という時がありません。
ということは、1週間のうち、2日間いすみ鉄道で仕事をすればよい体制を作れれば、残りの5日間、別の仕事をする余裕ができるというわけです。
今までは、地元沿線でお力になれればと思って、いすみ鉄道に関係のない仕事もたくさんしてきましたが、4年が経過し、そろそろいすみ鉄道沿線地域も私の力がなくても立派に活性化できるようになってきているはずですから、沿線地域外でいろいろ活動しても良いのではないかと考えています。
私のことをお使いいただける地域や会社様がございましたら、ぜひともご用命ください。
いすみ鉄道が業務委託を受けられるようなお仕事も歓迎いたします。
ただし、私は自分を安売りしませんから、高いですよ。
詳細につきましては弊社総務課の田中MSまで。
そうやって外で稼いだお金で、いすみ鉄道の内部が潤うようになれば、やがては世界平和につながると私は固く信じております。
この男、使える! と思える方は是非ご用命ください。
本日は、いつ死んでもよい社長の個人営業でした。(w)

[:up:] 先日、都内で行った日本生産性本部 経営アカデミー主催の 「Management Capability」 の講義です。
有名な企業から主に30代の幹部候補生たちが集められて、将来、管理者や経営幹部になっていくための能力や考え方を学習するコースです。
私の講義が役にたつかどうかは自分ではわかりませんが、彼らの頭の中に少しでも印象に残っていただければ、きっと日本の将来にプラスになる。そう考えています。
私の場合は外資系でしたから、日本と違った管理職養成コースを受けてきましたが、日本企業生え抜きの幹部候補生の皆様方には、そういう話も新鮮だったと思います。
彼らが経営幹部になる10年後、20年後が楽しみですね。
いすみ鉄道が彼らの投資先になれるように頑張らなければ。