世の中の制度を考える その2

官僚バッシングに続いて私がおかしいと思うのは公務員バッシングです。
財政が苦しくなって、その原因は何かという話になると、真っ先にやり玉に挙げられるのは公務員。
給料が民間に比べて高すぎるので引き下げなければならない。
なぜならば、公務員の給料は国民の税金から出ているから。
こういういかにも正論と思えるような理論を突きつけられて誰も反論できないどころか、感情的に「そうだ、そうだ」となるように誰かが国民を煽動しているような気がしてならないわけです。
広い地域で働く公務員の給料は地域の物価に反映していないことがあるので、田舎の場合は公務員は給料は高めですが、都市部では逆に低めだったりする。こういうことの検証は示されずに、民間より高いと決めつけられているのはどうしてでしょうか。
人件費というのはコストコントロールの第一プライオリティーで机上に上るのは当然のこととして、一般的に民間企業では、職場の人員配置を見直したり、一人あたりの業務量を見直して個人ベースで業務効率アップができないかを考えます。
例えば、今10人で運営している一つの課が、実は8人でできるのではないか。とか、1日8時間かかっている仕事が実は6時間でできるはずだ、とか、会議の回数や決済の書類の数を減らすことで更に業務改善ができるのではないか、というようなことを、職場の中からまず見出して、それを実行することで人件費を抑制していくのが民間企業です。
そのためには設備投資をしなければならない部分もたくさんあり、その投資費用が抑制される人件費とのバランスを考えて、GOするのか、それとも今のままで行くのか、それともほかの方法を探すのか、と決断するのが民間企業の管理職の仕事だと思います。
ところが、公務員の人件費削減の話の中で、こういった職場の業務改善による削減効果などは一切出てこなくて、あくまでも「お前らの給料は高すぎる。原資は税金だぞ。」という感情論ばかりが先行しているんじゃないでしょうか。
日本人というのは活字やテレビを信用する特徴がありますが、本当だったら、そういう性向がある国民の前で、マスコミ各社は言葉を選んで報道しなければならないと私は思いますが、現状では、そういう国民性を知りながら、わざと面白おかしく公務員バッシングを煽動しているようにしか思えないのです。
私が考える本来あるべきコスト改革というのは、10人でやっている仕事を8人でこなせるようにすること。それだけで2人分の人件費が削減できます。
さらに職場の人たちががんばって同じ仕事を7人でやるようになったら、予想以上に削減できた1人分の人件費の一部は職場の人たちに還元してあげる。
つまり、10人でやっていたものを7人でできるようになったら1割ぐらい各人の給料を上げてやるぐらいでないと、職場から活力というのは生まれないし、良い人材が育たないばかりでなく、優秀な人間がみんな他へ行ってしまい、他で使い物にならないような人間ばかりが集まる集団になってしまうのです。
役所で働く公務員の人たちを「公務員」としてひとくくりにして、一律何パーセントダウンのような人件費抑制策は、士気にかかわることとなり、組織力の低下につながるだけです。
それよりも、公務員の中で一生懸命働く公務員と、ふつうに働いている公務員と、働かない公務員に分けて、一生懸命働く人が評価されて報われる組織にしないと、早期退職プランを出したら卒業直前の状況にもかかわらず我先にみんな手を挙げてしまう無責任極まりない先生組織のようになってしまうのです。
学校で暴力事件やいじめ、自殺の問題が後を絶たないのは、そういうことなんじゃないでしょうか。
だって、私立学校では公立学校に比べるとあまりそういう話は聞かないと思いませんか。
皆さん、「究極は公務員はタダで働けばよい。」と思っていませんか?
コストコントロールというのはそういう問題じゃないでしょう。
公務員一人一人が、自分がもらっている給料以上の仕事をしてくれれば、地域だって活性化するんです。
そのための原資になるような給料の払い方をすることが大切だと、田舎にいて私はそう思います。
いすみ鉄道にかかわってくれている公務員の皆さんは本当によく働いてくれているのですから、私は彼らが正当な評価を受けられるようにするべきだと考えているのです。
少なくとも、彼らにバッシングされるような理由は何一つ見当たらないのですから、よく検証もしないうちに「公務員」とひとくくりにして「けしからん」と言うようなことはするべきではないと考えるわけです。