「社長、あなたの考え方は間違っています。」
先日、ある方からこう言われました。
その方がおっしゃるには、私のように、難しい局面や廃れたローカルに自ら飛び込んで行って頑張っている人ばかりではなくて、世の中にはふつうに会社へ行って、ふつうに仕事をしている人もたくさんいる。
皆が皆、身を挺して頑張って仕事をしなければいけないような言い方は良くない。
こういうお話でした。
なるほど。
そうですよね。
その方が職務上どのような立場にいらっしゃるかはわかりませんが、おっしゃることはよくわかります。
仕事というのは第一義的に生活の糧(かて)を得るためのものであって、簡単に言えば、誰もがお金をもらうために会社へ行っているわけです。
私だって、お金が入ってこなければ生活ができませんから、「ふつうに会社へ行って、ふつうに仕事をしている人たち」にダメだしするつもりはありません。
「ふつう」というからには、だいたい70~80%のサリーマンはこうじゃないでしょうか?
仕事というものに関して、約8割の人がこの段階で足踏みをしていると思うのですが、では残りの2割の人たちはどうかというと、さらに上を目指そうとするグループだと思います。
「仕事を極める。」とか、「仕事を自分のものにする。」とか、例えば板前さんやコックさんでも、ただ仕事として毎日同じ料理を作っている人たちと、一生懸命考えて作っている人たちがいるわけです。
また、仕事を通じて社会貢献や社会に奉仕しようと考えている人たちもいると思います。
訓練費用700万円払っていすみ鉄道で運転士になるなんていうのも、職業を通じて自己実現するわけですから、「ふつうに会社へ行っている人」じゃなれないでしょうね。
では、この8割と2割の人の見分け方をお教えしましょう。
どうやって見分けるかというと、職業に対するモラルや意識がその人の態度に出ているところがポイントです。
「こんな仕事、やってらんねえよ!。」なんて言っている人、あなたの職場でもいませんか?
そういう人は、職業で自己実現しようとか、仕事を極めるなんて人ではなくて、「生活のために、ふつうに会社へ行って、ふつうに仕事をしている人です。」
だから私は別にそういう人がいけないなんて言うつもりはありません。
ただ、いけないとしたら、そういう人が、管理者やリーダーとして人の上に立ってはいけないのだと思うわけです。
先日、校長先生がたくさん集まる会議で講演をさせていただきました。
夏にも校長先生方の前でお話をさせていただきましたが、そういう時に、学校嫌い、先生嫌いな私は憎まれ口をたたきます。
「校長先生というのは、ある意味上がりのポジションですから、数年の間、大過なく過ごせばよいんでしょう。おそらくそう考えている人が7割で、あとの3割の方々が、一生懸命何かをやろうとしている方々だと思います。」
中にはウンウンとうなずいている先生もいれば、しかめっ面をしている先生もいますが、私が3割と申し上げたのはリップサービスで、一般の人間だったら2割しか前向きな考えをしていないのに、学校の先生ですから、3割はいらっしゃるだろう、ということです。
校長先生とはいえ、お仕事ですから、私は「ふつうに学校に行って、ふつうに仕事をしている校長先生」を責めることはできないと思いますが、かわいそうだなあと思うのは、そういう校長先生の下で働く若い先生方や、まして、生徒となると、義務教育では自分で先生を選ぶことができませんから災難以外の何物でもないと思います。
そういう考えの方は、校長先生などなろうとしないで、ふつうの先生で定年を迎えるぐらいでよいんじゃないでしょうか。
なぜ、私がこんなことを言うかというと、今の日本には、勉強ができるだとか、性格が良いとか、能力のあるなしといったことに関わらず、まともに職にありつけない若い人たちがいっぱいいるわけで、そういう人たちはチャンスを待っているわけです。
なのに、すでに正規採用されている先輩たちが、向上心を失い、生活のためだけに会社へ行っているとしたら、そうですね、年収でいえば400万~500万ぐらいが頭打ちでよいんじゃないかと思うのです。
そのぐらいの年収であれば、生活のために仕事をしている人たちでも贅沢さえしなければ暮らしていかれるはずですから、それは保証されるべきだと思いますが、それ以上稼ぎたかったら、頑張って上位2割に入る努力をすればよいのです。
航空会社でも以前はそんな制度があって、40歳前ぐらいに会社から、「おまえはマネージメントに進むか、それとも一生平社員でいることを希望するか?」なんて聞かれて、頑張ろうとする人に道が開けていたし、ふつうの人は給料は頭打ちになるけど、生活はできるわけですから、あとは自分の時間をエンジョイすればよいわけで、それぞれの人生を歩んでいくわけです。
(今は、派遣や子会社がそれまでのふつうの人の仕事を請け負っていますから、航空会社の正社員で給料をもらうためだけにふつうに会社へ行っている人は、なかなか生き残れない時代になったと思います。)
今のように若い人たちに仕事がなくて、チャレンジしたくてもできないような時代には、そうやって作り出したポジションを、チャレンジ精神旺盛な若い人たちにオファーしないといけないと思います。
800万も1000万も、あるいわそれ以上、お金をもらっていながら、ふつうに会社へ行って、ふつうに仕事をするのがなぜ悪い、的な発想になることは、自分が安全地帯にいる上での議論ですから、私から見たら、全く説得力に欠ける、「甘ちゃん先生」にしか見えないのです。
そういう人は年収を下げて、浮いた分の人件費でもっと若い人たちを採用して、未来ある人たちにチャンスと希望を与えなければいけないと思います。
これが私の考えです。
給料は人一倍欲しい、けど、仕事はふつうで、自分の時間をエンジョイしたい。
昔ならともかく、今の時代にはこんなことは認められないんじゃないでしょうか。
もっともっと、世の中全体として、将来の可能性がある若い人たちに仕事で実力を磨くチャンスを与えるべきだと思うのです。
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