公募社長を募集するということ その2

公募社長としてそれまでの人生で築いてきた地位や待遇を投げ打ってまでローカル線にやってきた男としては、昨今の公募社長ブームには疑問があります。
「とりあえず社長を公募して何とかしてもらいましょう」的な発想はどうもいただけない、と申し上げました。
では、私が実際に公募社長として着任したいすみ鉄道はどうだったかということをお話いたします。
私は今から3年前の2009年6月にいすみ鉄道の社長に就任しました。
いすみ鉄道は2008年4月から2010年3月の2年間を存続のための検証期間と定め、社長を公募してあらゆる角度から検証をしていましたが、前任の公募社長が選挙に立候補したため退任。その後を継ぐ形で私が採用されました。
そして、私が採用された時点で残された存続のための検証期間はわずか9か月。
つまり、当初定めた検証期間2年間のうちの1年と3か月をすでに使い果たし、残り9か月の段階で社長に就任したのです。
そんな不利な状況の中、私が就任して驚いたのは、地域の人たちの接する誰もが「よく来てくれました。」と笑顔で迎えてくれたこと。
いすみ鉄道は旧夷隅郡を構成する大多喜町、いすみ市、勝浦市、御宿町の2市2町が運営する第3セクターで、千葉県が中心になって存続のための検証が行われていましたが、その各自治体から選ばれた代表の方々は皆さん真剣に、「どうしたら残せるのか。」ということを考えられていました。
私は、公募社長というのは廃止にするためのステップその1で、「いろいろやりましたが結局はダメでした。」という鉄道を廃止するための前提なのだろうと思っていましたが、「まあ、それでも鉄道会社の社長をやらせてもらえるなら、思いっきりやってみるのも面白いだろう。」と考えていたのです。
ところが、いざ仲間に入れてもらって分かったのは、皆、真剣に「どうしたら残せるか」を考えているということ。
自治体によって多少の温度差はあるものの、どの自治体も「残すための方法を探る」という点では方向性が一つにまとまっていたのです。
町長さん、市長さんの考え方、方向性も一緒で、「いすみ鉄道は無くなっては困る!」ということですべての人の考えが一つの方向に向いていました。
そして、各自治体の足並みを揃えるように千葉県がリーダーシップを取っていたのです。
公募社長は業界にも地域にも全くの門外漢ですから、解らないことだらけです。
例えば鉄道が活用できる補助金の種類や申請方法など知る由もありません。
でも、いすみ鉄道の場合、千葉県が主導して、そういう社長がわからないところに専門家といえる優秀なサブをきちんと付けてくれて、私の意志がすぐに反映される仕組みをちゃんと作ってくれるわけです。
地元に目を向けると、やっぱり皆さん何とか残したいという方向性は一致している。
中には「俺は廃止賛成だ!」という人もいるけれど、良く話を聞くと、「そりゃ鉄道はあった方が良いけど、何の手も打たないで赤字を町の財政で負担するのは今の時代に許されるものではないだろう。」という極めて当たり前の考えです。
だから、「何の手も打たずに」というところを何とかできれば、残せるものなら残したいということなのです。
いすみ鉄道友の会や、いすみ鉄道対策協議会といういすみ鉄道を維持するための団体や会も作られていて、そういう人たちが何をやっているかというと、「沿線の草刈りをやりますから、皆さん今度の日曜日に集まってください。」とか、「ホタル観賞列車を走らせますから手伝ってください。」と、どんどん自分たちから活動してくれるわけです。
鉄道に対して「ああしろ、こうしろ」と注文を付ける地域は多いと思いますが、いすみ鉄道沿線では、人に「ああしろ、こうしろ」と言う前に、「自分たちでやれることはやる。」という気質というか考え方が浸透していて、とにかく全体が一つになって「鉄道を残そう。」という方向性で一致していたのです。
千葉県知事も、「房総半島という地域はあらゆる可能性を秘めているんだ。」と応援してくれます。
こうなると、公募社長としてはとにかく働くのが面白くなってくるわけです。
私は就任して2ヶ月で行政指導型でなく、住民代表が自分たちで組織する応援団を結成してもらい、3か月でムーミン列車を走らせ、国吉駅にお店をオープンし、翌年の3月の検証期間終了までに何とか頑張りました。
そうして、県や自治体のチームに後押しをしてもらいながら、いすみ鉄道存続決定にこぎつけたのです。
皆さん、考えてもみてください。
全くの門外漢でよそ者の私が、わずか3年間でいすみ鉄道をここまで全国区にすることができたのは、私個人の力などではなく、県がリーダーシップを取って、沿線自治体が一つになり、地元の皆様方が、「とにかく自分ができることをする。」という姿勢で、率先していろいろやってくれているから、その結果としていすみ鉄道が今のようになることができたのです。
(このブログの2009年からの過去記事をお読みいただければすべてお解りいただけます。)
私は東京生まれの東京育ちですから全くのよそ者なわけですが、父親が房総の出身で、子供のころから房総半島には親しみがあります。
この地域の人たちがどのような気質で、どのような気風があるかということもよくわかります。
日本全国を回ってみても、やっぱり千葉県独特の気質を感じます。
それは、「自分たちでできることは自分たちでやる。」そして「人を頼らずに自分たちで何とかする。」ということです。
そういう環境の中で思う存分仕事をさせていただいているのが私であって、公募社長に思いっきり働いてもらうための基本的な考え方が、いすみ鉄道には存在するということを強く感じるわけです。
でなかったら、できるわけないです。
公募社長の仕事は湿った木に火をつけるようなものです。
やっと着いた火を、周りが大切にして、次から次に薪をくべていかなければ、せっかく着いた火も消えてしまいます。
でも、中には、公募社長が一生懸命火をつけようとしているのに、その火を消そうとする力も所によってはあるようですね。
そういう地域は、公募社長を募集する資格などない。
私は強くそう言いたいのであります。
千葉県の皆様、沿線地域の皆様、本当にありがとうございました。
そして、これからも気を抜かずに行きますので、更なる飛躍のためにご協力をお願いいたします。
そこでお願いです。
私が好きな国鉄形ディーゼルカーをもう1台(2台?)買わせてください。
そうしたらさらにびっくりすることになりますので。
どうかよろしくお願いいたします。
私にはいすみ鉄道がこれからどうなっていくか、鉄道が観光資源になるということをいすみ鉄道で実践できるということがよく見えていますから。
せっかく着いた火を確実なものにするために、くべる薪をさがしてきてくださいね。
(おわり)