君、それは病気だよ の頃

私の著書 いすみ鉄道公募社長、危機を乗り越える夢と戦略 の中に書いていますが、私は学生結婚をしました。
学生結婚というのは、親の言うことを聞かず、自分たちの狭い見識の中で意志を貫いた結果ですから、当然のようにとても障害が多く、生活もたいへんでした。
いま思い返せば、よくまあここまで続いたものだと、家内と二人で感心することしきりです。
私の場合は学校を卒業しても国鉄には入れず、航空会社の募集もない状態で、女房子供を抱えていましたから、とりあえず食っていくために、当時の知り合いから紹介されて、歯科矯正材料のセールスマンをやることになりました。
社会に出て初めての仕事です。
当時、小型機の操縦資格を持っている人の中には歯医者さんがけっこういて、そういう人の紹介で入ったわけですが、セールスマンなんて経験がありませんから、毎日、自尊心を傷つけられることの連続の日々でした。
当時、私にセールスマンをやるように勧めた人は、「社会に出て初めてやる仕事で、モノを売り込むという経験をしておけば、後になって必ず役に立つ。」と言っていて、私もそれに素直に従ったのですが、今思えば、この時のセールスマンの経験は、その人の言葉通り、私の中でとても大きなウエイトを占めているのがわかります。でも、当時は、「馬鹿」とか「阿呆」とか言われる毎日で、クタクタになっていました。
私は生まれてすぐに腸捻転という病気をしたため、子どもの頃から腸が弱く、すぐにお腹を下す子供時代でしたが、20代前半も、精神的に追い詰められて、毎日おなかが痛くて、家を出て駅まで歩くのもやっとの思いでした。
当時私は小岩に住んでいて、会社は恵比寿。
小岩から総武線の黄色い電車に乗るのですが、電車がホームに入ってくる気配がすると、おなかが痛くなります。
次の駅まで、トイレに行けない!
そう思うからです。
電車に乗り込んでドアが閉まると、おなかの痛さはピークに達します。脂汗をかいて、心臓はドキドキ。
でも、次の駅が近づくと、スーッと気持ちが楽になるのです。
ひと駅ごとにそんな状態ですから、黄色い電車で秋葉原へ出て山手線の外回りに乗り換えるコースは、気が遠くなるほど。
これは駄目だと思って、ある時から快速電車で品川まで行くことにしました。
快速電車にはトイレが付いていて安心だからです。
小岩から新小岩までのひと駅を何とか持ちこたえて、快速のホームへ行くと、並ぶ乗車口は決まってクハかサハのところ。トイレが付いている1両目か4両目になるわけです。
これなら、途中で電車が立ち往生しても全然平気。
安心してぎゅうぎゅう詰めの車内に入った私の目の前でドアが閉まります。
新小岩を出た快速電車はすぐに長い鉄橋を渡ります。
ところが、朝の時間帯は前の電車が錦糸町の手前でつかえているために、私の乗った電車は、その長い鉄橋のちょうど真ん中で止まってしまいます。
すし詰めの電車のドア窓から下を見ると、荒川の流れが目に入ります。
その川の流れを見ていると、
「ああ、今、この電車が何かの事情で脱線したら、あの川に転落するなあ。」
とか、
「そういえば昔、中央線の63型電車が満員の乗客の圧力に耐えられず、走行中にドアが外れて乗客が転落死した事故があったなあ」
などと、よせばいいのに、そんなことが頭をかすめます。
そうすると、また脂汗が出てきて、心臓がバクバクになる。
次に、錦糸町を出た電車は両国から地下に入ると、またノロノロ運転。
すると
「隅田川の下あたりだ。今、大地震が来て、川底が決壊したら、このトンネルも水没する。そしたら皆死ぬんだ。」
なんてことが頭をよぎる。
ひと駅ごとにそんなことの繰り返しですから、会社に着いた時にはクタクタです。
「念のために」という言葉が私の思考回路の中ですべての行動に求められます。
地下鉄に乗っていて何かあるといけないから、かばんの中にはいつも小型の懐中電灯を持って乗る。
懐中電灯さえ持っていれば、途中で停電になっても大丈夫、と考えてほっとするのもつかの間、
「待てよ、大地震が来てトンネルが崩れたらどうするんだ。」
と考えて、次の不安が頭をよぎるのです。
「そうだ、崩れたトンネルから脱出するためにはスコップが必要だ。」
地下鉄に乗るときには、懐中電灯とスコップを持って乗らなければ・・・
でも、懐中電灯はともかく、スコップはどうするか。
まさか背広を着て大きなスコップを持って乗るわけにはいかない。
折り畳み式のスコップはないのか。
真剣にそんなことを考えていました。
高速道路を車で走っていても、「もし、急に渋滞になって、そのときおなかが痛くなったらどうしよう。」
こんなことが頭をよぎります。
そう考えた瞬間に、本当におなかが痛くなるし、脂汗は出るし、心臓はバクバク。
そのうちパーキングエリアが近づいてくると、何だか気持ちがスーッと楽になります。
「この分だと、次のパーキングエリアまでなら大丈夫だろう」
そう思って目の前のパーキングエリアを通過した途端、急に不安になって再び心臓がドキドキ。
おなかが痛くなって脂汗が出ます。
でも、しばらく走って次のパーキングエリアまであと数キロの表示が見えてくると、またスーッと気持ちが楽になって口笛を吹きたくなるような気分になるのです。
毎日毎日そんな状態だから、ついに、どうしても会社へ行くことができなくなりました。
今から30年近く前ですから、心療内科や過敏性大腸炎、パニック症候群などという言葉もなく、誰に聞いても、「ああ、それは漢方のセンブリがいいよ」とか、「腸の中に酵母が足りないから、エビオスだね。」などという程度の時代です。
まだまだ、心の病ということが、一般に知られる以前の、「根性だ!」「頑張りが足りない!」と言われていた時代でした。
(つづく)