無くなってみてはじめて良さが分かるもの

世の常として、無くなってみてはじめて良さが分かるということがあります。
私の子供のころは蒸気機関車が身近でした。
新小岩や錦糸町、両国、大宮、鶴見、八王子あたりでもモクモクやってました。
私が今住んでいる佐倉には扇形機関庫があって、いつも汽笛が鳴り響いていました。
蒸気機関車は真っ黒で、突然大きな気笛が鳴るし、客車は白熱灯で薄暗く、その汽車に乗せられて勝浦のおばあちゃんちに連れて行かれると、子ども心になんだかとても不安になりました。
だから、子供のころは101系や103系などの車内が蛍光灯の電車が格好良いと思っていました。
カメラを持っても、蒸気機関車などほとんどシャッターを切ることなく、羽田空港に出かけて展望デッキから当時最新鋭だった日本航空のボーイング727を写したりしていました。
ところが、小学校高学年になると、いつの間にか都内から蒸気機関車が消えていました。
そして、世の中はSLブームになり、全国各地で大騒ぎすることになります。
総武線や京浜東北線で走っていたゲタ電と呼ばれた旧型の茶色いチョコレート電車も次々と消えていきました。
中学生になったときには、蒸気機関車は一番近いところでも小海線や会津線、只見線、日中線など、関東から出なければ、もう見ることはできなくなっていました。
今では信じられませんが、小海線も会津線も夜行列車で行くところでしたから、子供の身では果てしなく遠いところに感じたものです。
その点、チョコレート電車はまだ南武線や横浜線、千葉以遠の成田線などの房総各線で走っていましたから、休みのたびに、小遣いが続く限りカメラを持って出かけていました。
この写真は、昭和47年のゴールデンウィークに出かけた青梅線。
茶色いはずのチョコレート電車が、春闘のストのビラや落書きでめちゃめちゃでした。
せっかく写真を撮りに来たのに、がっかりしたのですが、すぐに思い直して、こういうシーンもこの時期しか見られないからと、しきりにシャッターを切りました。
当時私は小学校6年生でしたが、そのころから私の思考回路はなかなかフレキシブルだったようです。
今のデジカメと違って、20枚撮りのネオパンSSというフィルムを1本だけカメラに詰めて出かけましたから、シャッターを切れるのは1日20枚のみ。
1回シャッターを押すのも、よく考えてからでないと、お小遣いが続かない時代だったのです。




私の立場で、こういうことを言うと顔をしかめる御仁もいらっしゃるかとは思いますが、当時の国労や動労のお兄さんたちには随分と可愛がってもらった。
今のような鉄道趣味は、ほとんど蒸気機関車を対象にしたものだけで、小学生や中学生がチョコレート電車や寝台特急にカメラを向けるシーンは皆無でしたから、駅員さんや運転士さんたちに「おい坊主、どっから来た?」なんて声をかけてもらって、可愛がってもらったのです。
鉄道員はもちろん、今の社会人は、会社からあらゆる点で管理されて、それが当然と思うように教育されているようだけど、当時の大人のひとたちは自分の生活も大変だけど、世の中のこと、社会のことを考えていた。会社や自分ばかりでなく、どうしたらみんなが、社会全体が良くなるかを考えていた。ということぐらいは、昭和40年代なら小学生でも皆わかっていたのです。
一番上の写真は奥多摩駅でのクモハ73。
金属車体に更新された旧型国電の中でも美しい車両でしたが、ご覧のような落書き。
運転士さんに、「せっかく写真撮りに来たのに、ひどいね」って言ったら、「こういうのもしっかり写しとけ!」と笑いながらいわれて写した1枚です。
懐かしい昭和の春の風物詩ですね。
今、もし、旧型国電や蒸気機関車が、保存運転ではなく、できるだけ当時のままの姿で営業列車として走っていたら、私は毎週乗りに、写真を撮りに出かけると思います。
C56が旧型客車2両に貨車を数両つなげた小海線や飯山線の混合列車。
ポッ!と汽笛を鳴らし、動き出した瞬間に空転して皆を驚かせたりするのもご愛嬌。
6~8両編成のチョコレート電車がフルスピードでモーター音もかすれながら走る姿も目に浮かびます。
編成の中に920番台のノーシルノーヘッダー全金車が2両ばかり入っていたら最高ですね。
EF58が引く東京発西鹿児島行の急行列車 「桜島・高千穂号」、知ってますか?
どれも昭和40年代にはごくふつうにみられた鉄道風景です。
だから、毎週キハ52に乗りに、写真を撮りに、いすみ鉄道に来ていただく鉄道ファンの皆様の気持がよくわかるのです。
大糸線で走っていたキハ52が、そのままの姿で、東京から近いいすみ鉄道で走っていることは、やっぱりすごいことだと思います。
共感していただける皆様、車両オーナーの枠がまだ残っておりますので、ぜひお申し込みください。
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ただ今、いすみ鉄道WEBショップで受付中です。
商売というものは、単にお金が入ってくればよいというものではありません。
自分が、「こういう商品があったらいいな」と確信できる商品を、自信を持って取り扱うことだと思います。
だから私はムーミン列車やキハ52を提供しているのです。