幸せを測る物差し

昭和42年4月、私は小学校へ入学した。
入学式と満開の桜が重なり、校庭の桜の老木の前でクラスの記念写真を撮った。
お母さん、お父さんたちは皆、戦前生まれ。
担任の先生は大正生まれ。
偉い先生には明治生まれの人もいた。
戦後生まれのお兄さんたちはヘルメットをかぶり、棒を持って、東京中でお巡りさんと大きな喧嘩をしていた。
そんな時代、東京23区内といえども、校舎は木造で、教室には石炭ストーブ、給食には大きなヤカンに入った生ぬるいミルクが出た。
当時、私の家には電話がなかった。
用がある時だけ、10円玉を持って近所の赤電話に行く。
でも、親戚にも電話がない家が多かったから、かけるところも知れていた。
4月の終わりごろだったと思う。担任の先生が学級名簿を配った。
1年生から6年生までの全クラスの生徒の名前が書かれている冊子で、両親の名前、職業、兄弟が同じ学校にいる場合はそのクラスなどが書かれていた。
個人情報の保護など思いもよらなかった時代、片親の子は名簿を見ただけでそれとわかってしまう。
子供ながらに残酷なしうちだと思った。
その名簿の自分の欄を見ると電話番号が空白になっていた。
家に電話がないのだから当然である。
クラスのうち、半分以上の生徒が空欄だったが、私は自分の家に電話がないことが明白になってしまったことが恥ずかしかった。
家に帰り母親に猛烈に抗議した。
「どうしてうちには電話がないのか」と。
小学校2年生になると、また新しい名簿が配られた。
早速ページを開いて自分の欄を見ると、今度は電話番号が書かれていた。
ただし、よく見ると番号の横に 「呼」 という文字があった。
呼び出し電話だった。
2年生になっても相変わらず私の家には電話がなかったが、母親が気を利かせて隣の家の電話番号を学校に申請していたのだ。
当時の電話の普及率は都内といえども数件に一件で、電話のある家がかかってきた電話を取り次いでくれる 「呼び出し」 が一般的だった。
ところが私はこれにも不服だった。
1年生の時に比べると確実に電話番号が空欄の生徒の数は減っている。
その中に、「呼」 は自分だけではないけれど、ちゃんと電話が家にある子にはこの 「呼」 の文字がない。
自分の欄には 「呼」 が付いているのが恥ずかしかった。
その年の暮に我が家にも電話が入った。
そして3年生になると、めでたくクラス名簿の自分の電話番号欄から 「呼」 の文字が消えた。
私はそれを見て満足だった。
すると不思議な現象が私の内面に起きた。
クラスメートで電話番号が空欄のまま残されている友達の事が自分よりも下に見え始めたのだ。
「俺のうちには電話がある。お前のうちにはないだろう」
こんな調子だった。
時に大阪万国博覧会を翌年に控え、世はまさに右肩上がりの高度経済成長期。
少し大げさな言い方をすれば、朝目が覚めると、自分の周りで何かが新しくなっていた時代である。
電話の次はカラーテレビ、水洗トイレにクーラー、そして自家用車ととどまるところを知らない物欲が、身体の成長に合わせて、心も占領していった。
カラーテレビがないのが恥ずかしい。
やっと手に入れると、今度は家にカラーテレビがない友達が自分より下に見えてしまう。
ちょうどゲゲゲの女房の時代背景と同じ。
裸電球に丸いちゃぶ台1つだった家が、いつの間にか蛍光灯になり、ダイニングテーブルになり、クーラーが付いている。
自動車も欲しいし、クーラーも欲しい。やっと自動車を手に入れると、今度は友達の家や隣の家の自動車との車種やグレードの比較が始まる。といった具合に、バブルが崩壊するその日まで世の中の人々が物質で幸せを測る 「物差し」 が延々と使われていた。
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今、明らかに私が育った時代に当たり前だった 「物差し」 が役に立たなくなっている。
50歳前後の大人たちは戸惑いの中にいる。
その上の世代の人たちは貧しい時代を経験しているし、30代以下の若い人たちもバブル崩壊後の 「失われた20年」 の中、生きるすべを身に付けてきた。
一番手に負えないのが私の世代。
どうしていいのかわからない人がたくさんいるはずだ。
幸い、私はいすみ鉄道に来て 「幸せを測る物差し」 が他にもあることに気が付いた。
少し都会を離れるだけで、これだけリラックスできて、自分を再発見できる場所があるのだ。
ローカル線でフラリと途中下車する。
何もない駅。
次の列車まではたっぷり1時間。取り立てて見るところも行くところもない。
「列車本数が少なくて不便でしょうがない。」と言う人と、
「のんびりとゆったりした時間が流れている。」と言う人。
「こんなところで降りてしまって時間が無駄だ」と言う人と、
「次の列車まで1時間自分の時間ができた」と言う人
今の時代、幸せを測る物差しはどちらなのか。
ここらで皆さまも考えてみてはいかがでしょうか。