人生には節目節目に自分のことを引き上げてくれるような人が存在すると思います。
がむしゃらに突き進んで、壁にぶつかってもがいているときに、上から手を差し伸べてくれる人。
がけっぷちで躊躇している自分の背中をポンと押してくれる人。
50歳を迎えて、今までの人生を振り返ると、自分のことを引き上げてくれた人や背中を押してくれた人が何人もいたことが思い浮かびます。
佐藤朝泰(ともやす)さんもその一人。
経済ジャーナリストで、数々の著書があり、サンデー毎日にも記事を連載されていた方です。
私は40代前半の時に佐藤さんに、今思えば「出会うべくして出会った」ような気がします。
当時の彼は日本エアシステムの機内誌「アルカス」の編集長。
私は外資系航空会社勤務で趣味で日本全国を飛び回って鉄道を撮影する一人の男。
台湾国鉄の幹部を紹介してくれて、新幹線開業前夜の在来線特急華々しい時代の台湾国鉄の映像を記録することができたきっかけを作ってくれた人です。
いろいろ風当たりが強かった中で、私のやっていることを正当化してくれ、自信をつけさせてくれた人生の大先輩です。
私は佐藤さんのことをなぜかいつも「会長」と呼んでいました。
最後に会ったのが、昨年の夏。
私がいすみ鉄道に職を得たのを心から喜んでくれて、
「前例がないことにチャレンジしていかなければ、道は開けない。でも前例がないことは障害が多い。障害に出くわすたびに、自分がやっていることが正しいということを知れ!」と、自ら大多喜まで足を運んで励ましに来てくれました。
昨年12月31日に急逝。
お正月に訃報を聞きましたが、今夜、ご友人の皆さま方が集まられて偲ぶ会が行われました。
場所は有楽町の電気ビル最上階にある「日本外国特派員協会ホール」
ジャーナリストの佐藤さんにふさわしい場所に、各界の大御所と呼ばれる方々が集まられました。
結成55周年を迎えたデュークエイセスの谷道夫さんが歌を捧げられたほか、ジャーナリストの皆様がそれぞれの思い出話をされていました。
私も末席に招待され、遺影に献花させていただきましたが、本当に残念でなりません。
「いすみ鉄道を再生させる過程を会長さんにドキュメンタリーで書いていただきますから」とお願いをしていたのですが、もうお会いすることも、アドバイスをいただくこともできなくなってしまいました。
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50歳になるって、道を教えてくれる人がどんどんいなくなることのようです。
昔お世話になった方々に「立派になったな」「がんばってるな」って誉めてもらいたいけれど、みんな向こう側へ行ってしまいました。
人生の大きな決断をしなくてはならない時に、道を尋ねることができる人が、本当に少なくなってしまいました。
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雪解け間近の北の空に向かい
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき
帰らぬ人たち、熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり
旅に出る
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今更ながらにこの歌詞の意味が分かるような気がします。
さてさて、
感傷的になるのはこの辺でやめにして、明日は土曜日。お花畑のムーミン列車に乗りにたくさんのお客様がいらっしゃいます。
私としては、「つべこべ言わずに、とにかく前に進むのだ!」と自分自身に言い聞かせて、明日の風に身を任せてみたいと思います。
おっと、その前に、今夜の酒に身を任せることにしましょうか。
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