ムーミン谷の住人をご紹介するコーナーです。
今日ご紹介するのは運転士の君塚時雄さん。
全員がすごい経験を持ついすみ鉄道の運転士さんの中でも、一番すごい人がこの方です。
君塚運転士、通称「時さん」。
彼のどこがすごいかというと、列車を運転する運転士さんの中でも、運転士さんの教育を行う「指導運転士」であり、検修課として列車の検査や修繕も行い、車両の運用計画も立てるし、列車指令もこなすなど、マルチ的な才能を発揮するチームの中のリーダーだからです。
JRのような大きな組織では、ひとつの職種しかやらないのが普通ですが、いすみ鉄道の場合、時として一人で何役もこなすことが求められたりします。そんな時頼りになるのが「時さん」のような人材。そして、さらに日曜大工の腕もプロ並みで、その証拠に、国吉駅のムーミンショップの陳列棚のいくつかは時さんの作品です。
時さんは国鉄入社後、佐倉機関区に配属。蒸気機関車に乗務し機関助士(カマタキ)を経験。昭和44年に蒸気機関車が廃止された後はディーゼル機関車、電気機関車、気動車、電車などに乗務し、総武本線、外房線、内房線、成田線などで貨物列車から特急電車まで幅広く運転していました。もちろん国鉄時代の木原線にも乗務経験があります。
いつも穏やかで、やさしい人柄ですが、今から数十年前、電化直後の外房線に乗務中、大雨の中、東浪見(とらみ)駅で土砂崩れに巻き込まれ、自ら大けがを負いながらも乗客を避難誘導し、大事故を未然に防いだ経験を持つ猛者でもあります。
君塚運転士のけむりの想い出話し(本人談)
C57とC58両方の機関車に機関助士として乗務していました。機関助士というのは蒸気機関車に石炭をくべるのが仕事で、機関車の出力が石炭の燃やし方、つまり、機関助士の腕で決まる重要な仕事です。
重い列車を引いて坂道を登るときは勿論、住宅が建て込んだ地域を走る時なども、石炭を上手に燃焼させ、煤煙を極力抑え、効率の良い運転をすることが機関助士としての腕の見せ所です。
当時、船橋や市川など、すでに住宅が線路の脇まで密集していましたので、洗濯物などを汚さないように大変に気を使いました。
C57という機関車は、力があり、速度も速く、とても快適な機関車でしたが、それよりも少し小型のC58で、同じ長さの編成をけん引する時などは、石炭を効率よく燃焼させ、機関車の馬力を上げることに集中しました。
そんな厳しい乗務でしたが、早朝の列車を引いて銚子から両国に向かうとき、佐原付近で夜明けの水田地帯を風を切って走るシーンは、「機関車乗りになって良かったなあ」と思った素晴らしい経験です。
どうです、すごいでしょう。
いすみ鉄道には、時さんをはじめ、運転経験も人生経験も豊かなベテランの運転士さんがたくさん勤務しています。
今、私は、このような貴重なスタッフの経験を、できるだけ多く社内に継承し、将来の財産としていきたいと考えています。
本日はムーミン列車の君塚時雄運転士をご紹介しました。
列車で見かけたら「時さん」って声をかけてくださいね。
[:up:]時さんがカマタキだったころの総武線。
下総中山を発車するC58牽引貨物列車
[:down:]雪晴れの西船橋-下総中山を走るD51
[:up:]下総中山でSL列車どうしの追い越し。手前C58、向こうはD51。貨物列車にも各駅と速達があったのか。手前のC58はひと駅ずつ停車し、入れ換えをしながらのんびりと走る。追い抜くD51の貨物列車は新小岩、越中島へ直行する。横に写っている車を見ると時代がわかりますね。
撮影:山路善勝氏(けむり饅頭の表紙の撮影者) 昭和44年のシーン
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