一枚のキップから

国鉄時代から電車に乗る時に駅で購入する券片は「きっぷ」です。
私が子供のころは、例えば板橋駅や巣鴨駅へ行くと、きっぷ売り場が2つあって、1つは電車きっぷ、もう1つは汽車きっぷと書かれていました。

電車区間は東京の近くで言うと、山手線を中心として京浜東北線は大宮まで、常磐線は取手まで、中央線は高尾まで。そこから先は汽車区間で、汽車きっぷと書かれた窓口へ行って買っていました。
なぜ分かれていたかというと、窓口で用意してあるきっぷの種類が多かったからだと思います。

その巣鴨駅で発行した電車きっぷ。
これは地図式と言って40円で行かれるところがどこまでなのか地図で示してあります。
山手線だと40円区間は東京か、神田。代々木か、原宿。
総武線だと浅草橋、両国。
常磐線の場合は北千住。
駅の窓口にはこういうきっぷがたくさん並べてあって、出札窓口の駅員さんはお客さんが「両国1枚」と言ったら、瞬時にその切符を取り出して日付を入れて渡してくれる。
私の記憶だとだいたい所要時間2秒。
5秒もかかったら、「何もたもたしてるんだ。」と客に言われてしまいます。

で、汽車区間になるとこれはもっと壮大で、北海道から鹿児島までの駅のきっぷが用意してあって、無いものは手書きで出してくる。
もちろん遠くへ行くためには急行券や座席指定席券、特急券、寝台券などが必要になります。
電車に乗るために必要なお金は運賃ですから、これは乗車券と呼ばれますし、急行や特急に乗るためのお金は料金です。
こういう仕分けが国鉄にはあって、その他にも手回り品や荷物などを送るための切符などもあり、それが駅の窓口で取り扱っているわけですから、お客様はどこに並んでよいかわかりません。
でもって、混乱を防ぐために電車に乗るための乗車券、急行券、寝台券などは「きっぷ」。
手荷物や手回り品などは「切符」と呼び方を変えて区別して使っていたのでしょう。
今もその名残があるはずで、駅の窓口には「切符うりば」ではなくて「きっぷうりば」と書いてあるところがあります。

で、当時流行した国鉄のキャンペーンCMが「一枚のキップから」。
なぜかこちらは切符ではなく、きっぷでもなく、キップ。

宅急便などない時代には旅に出るときには大きな荷物は駅から旅先に送っていましたし、車内に持って行く大きなカバンも、編成の端に連結してある荷物車に積んで到着駅で受け取ったりしていましたから、そのための切符もあって、人間が乗るために使うのを「きっぷ」、荷物や手回り品などに使うものを「切符」と表記して区別していましたので、両方をどちらにもとれるように「キップ」とカタカナにしたのでしょうか?

で、なぜ私が今夜こんな話をしているかというと、出てきたんですよ。
思いがけなく。

イベントへ持って行こうと倉庫にある古い切符を探していたら、その山の中から出てきたんです。
これが。

昭和45年の大井川鐵道の定期乗車券です。
左が通勤定期、右が通学定期。
どちらも地名駅発行の駿河徳山までの1か月定期です。

左の通勤定期の方は向島茂さん、当時19歳。
右の通学定期の方は栗原玲子さん、当時16歳。

栗原さんは川根高校へ通っていらしたのでしょう。

昭和45年と言えば前の大阪万博の年ですから1970年。
ご健在であれば19歳だった向島さんは74歳、16歳だった栗原さんは71歳になられているはずです。

お会いしてみたいなあ。
当時の話を聞いてみたい。

なんとなく、そんなことを感じました。
これは一つのロマンですね。
1枚のきっぷが物語る時空を超えた壮大なロマンです。

地名出身の課長さんに聞きましたら、向島さんという家も、栗原さんという家も、何軒かありますねとのことでしたので、今度調べてみようと思います。

ていうようなことを今日は思いました。

ということで、当時の国鉄のキャンペーンソング「一枚のキップから」

実は私の仲良しの友人の小林啓子さんという方が歌っていらっしゃいます。
そして、小林さんは今も現役でご活躍中です。

ぜひ、下記のリンクからお聞きになって下さい。
1977年、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」の1つ前の国鉄のキャンペーンソングです。
このCMが流れていた時、私は17歳でした。

【昭和・平成の懐かしいCM】JRがまだ国鉄だった頃の貴重なキャンペーンCM~Old Japanese documentary footage~

レイルウェイ・ララバイ ~一枚のキップから~   小林啓子