皆様には宝物ってありますか?
宝物というのは実質的価値があるものもあれば、精神的価値があるものもあると思います。
もちろん両方兼ね揃えていれば言うことはありません。
私にとっての宝物はコレです。

時刻表1974年7月号。
ちょうど湖西線が開業したことを知らせる表紙です。
そして「房総夏ダイヤ」。
このころは海水浴需要が旺盛で、千葉の列車は夏になると臨時列車を増発してその需要に応えていました。
今ではその面影は全くありませんが、ホームに入りきらない乗客が改札口の外、駅舎の外まで列をなしていた時代でした。

その夏ダイヤのページを開いてみるとこんな感じです。
僅か100㎞ちょっとの区間に特急、急行、そして快速と、東京から直通する列車のオンパレードです。
黄色く塗られているのはたぶんこの時刻表を見て、私が乗った列車だと思います。
上総興津停車ですから。
50年も前にラインマーカーで線を引いた時刻表。
これは私にとって宝物。
そう、精神的な宝物です。
でも、精神的な面だけではありません。
実質的にもこの私の宝物は私に富をもたらすのです。
皆様よくご存じかと思いますが、私がテーマにしている昭和の国鉄というのはだいたい昭和45年(1970年)から昭和50年(1975年)の時代設定です。
昭和45年と言えば「世界の国からこんにちは」の大阪万博の年。
昭和50年と言えば沖縄海洋博と日本がぐんぐんと経済成長をしていたころ。
鉄道もめまぐるしく変化していて、昭和45年には全国で500両近く走っていた蒸気機関車が、昭和50年にはほぼゼロになりました。
そう、昭和50年は国鉄の営業線上から蒸気機関車は完全に姿を消したのです。
この辺りの時代は鉄道だけでなく、人々の日常生活にも大きな変化がありました。
洗濯機、冷蔵庫と言った白物家電が普及し、マイカー、クーラーなどが増えて行った時代です。
そういう目まぐるしい変化を遂げていった時代が、私がテーマとしてきている昭和の国鉄なわけで、例えばキハ28-2346は昭和39年製の急行形車両ですが、当時国鉄は新車は7月に落成するように作っていました。
どうしてかと言うと、房総夏ダイヤのためです。
この房総夏ダイヤの旺盛な需要に合わせるように新車を落成させ、まずは千葉へ配置をします。
そして、ひと夏千葉の夏季輸送に使用した後に、本来の所属地へそれぞれ転属していきました。
キハ28-2346も東京オリンピックの年の昭和39年7月に新製配置先としてまず千葉へ配属され、ひと夏房総半島の夏季輸送に活躍した後に米子へ転属し、それ以来ずっと西日本のエリアで生涯を全うしましたので、私はその車両を言うなれば千葉へ里帰りさせて、最初の所属地である千葉で走らせることでストーリー性を持たせ、皆様方に喜んでいただきたいと考えたのです。
当時の時刻表は基本的には捨てることなく全部所有していますが、ほとんどは千葉の家に置いて来てありまして、数冊だけ持ってきていますので、この1974年7月号はそのうちの1冊。
一番、当時を物語っている1冊ですから、私の宝物なのです。
で、この宝物が、今、昭和の国鉄企画をするうえでいろいろなものがココから出てくるのですから、実質的に経済的利益をもたらす「金の成る木」なのであります。
てなことを申し上げたところで、なんで50年以上も前の古ぼけた時刻表が金の成る木なんだ?
単なる数字の羅列に過ぎないだろう。
そういう方がほとんどだと思います。
そりゃそうですよ。
だって、みんなが「そうだそうだ」となって、この時刻表からお金を引っ張り出すことができたら、金の成る木じゃなくなりますからね。
「そんなものに何の価値があるんだ?」
と言って私をバカにして白い目で見る人たちが100人中90人以上だからこそ、私にとっての宝物は宝物であるのです。
でも、100人中90人が「莫迦じゃないの?」「理解できない」と言っても、つまり残った10人に一人が「おぉ、いいですね。」と言っていただければ、日本の国民1200万人が「おぉ、いいね。」と思っていただけるわけで、その中のさらに10人に一人が実際に興味関心を持ってくれて、その興味関心を持ってくれた人のさらに10人に一人が実際に乗りに来てくれたら12万人ですから、田舎の町や田舎の鉄道にとっては十分なのだと私は考えます。
そう、この価値を理解して、実際に乗りに来てくれる人は日本人の1万人に1人という選ばれし者たちだと私は思うのです。
で、私はそれを実際に今まで16年間やってきたのです。
でも、まぁ、そういうことが理解できる人が私の周囲にはいなかったわけで、そうなると私が居なくなった後はぺんぺん草だらけになってしまうのですから、これが私の一つの課題なのです。
で、ある時、今から4年ぐらい前ですが、この時刻表を一人の若手スタッフに渡してみたのです。
かれは平成生まれですから、昭和のことは知りません。
まして鉄道会社の社員としてまじめに働いてはいますが、マニアではありませんから、マニアの心理はわかりません。
で、この時刻表を渡したらペラペラとめくる彼の眼の色が変わりました。
そして言うのです。
「社長、お金の匂いがしますね。」
「わかるか?」
「はい、この中にはお金がたくさん詰まっています。」
ほう、ここにわかる人間がいたか。
その彼が続けます。
「社長、455って、こんなに長距離を走っていたんですか?」
「そうだよ。朝上野を出ると東北に着くのが夕方かな。」
「ほんとうですね。北陸線も九州も、交流区間を走る急行電車は皆455だったんですね。」
「そう。長距離を走るからグリーン車はもちろんだけど、軽食を提供するビュッフェ(立食形式の食堂車)も付いてたよ。」
「あぁ、本当だ。凄いですよコレ。」
そう言って目を輝かせながら彼が作り出した商品が、何を隠そう「朝から夕まで455」。
国鉄時代の長距離急行列車のように朝から夕方まで乗り続けてやっと目的地に到着するという体験をしていただく商品です。
そして、この時私は確信しました。
私にとっての宝物、金の成る木を次の世代に伝授できたと。

で、今、大井川鐵道でこの6月から始まるのがEL急行。
土休日を中心に1日3往復走ります。
つまり、朝から夕方までずっと乗り続けられる旧型客車の列車です。
実は、この旧型客車の長距離列車もこの1974年の私の宝物の中から作ったものです。

▲中央本線、新宿発松本行423列車 所要時間7時間ですね。
新宿駅のホームに1時間以上前から入線しているなんて、今では考えられません。

▲北陸本線 米原発 直江津行 247列車 直江津着は17:17でしたから所要9時間ですね。

▲常磐線 上野発 仙台行 223列車
上野12:31発 仙台21:18着ですから所要9時間弱

▲東北本線 上野11:13発 一関22:42着 123列車
これも長い。11時間半。

▲山陰本線 京都発、出雲市行 839列車
出雲市着は22時でしたからこちらも11時間コース。

▲羽越本線837列車 新津11:20発 秋田18:44着

▲そして極めつけは東京駅を夕方次々と発車する東海道のブルートレイン。
あさかぜは定期列車で3本。
あさかぜ3号はあさかぜ2号の続行で5分後に追いかけています。
こういう列車がこの時刻表のページを開くと次々と飛び出してきます。
私にとっては思い出の大切な宝物であると同時に、金の成る木でもあるのですが、平成生まれの若者たちにとっても金の成る木になれば、私が展開してきた昭和の国鉄というテーマがしっかりと受け継がれていくのです。
つまり、昭和の国鉄はまだまだ続くのです。
大井川鐵道のEL急行。
7月21日までの土休日運転。
全席自由席ですから、1日フリー乗車券4800円をご購入いただければ、朝から夕方まで、ずっと乗ってられるのです。
途中の長時間停車で食料調達やトイレ休憩ができるのも「昭和の長距離列車」と同じ体験です。
この価値をご理解いただける方だけお越しください。
それ以外の方へはお勧めいたしません。
と、あらかじめお断りいたしておきます。
なぜならば、私の宝物を共有できる方と、そうでない方がいらっしゃるからです。

良いでしょう?
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