大井川鐵道は創立100周年を迎えましたが、来年はSL復活運転50周年です。
1975年に国鉄線上からSLが消えて落胆していた私は、その翌年に大井川鐵道でC11が復活運転を始めた時には、とにかく小躍りして喜びました。
夢のような話でした。
もう日本のどこにもSLが走っていないと考えていた私でしたが、
「あぁ、今頃大井川鐵道で山間に汽笛を響かせながら汽車が走っているんだ。」と思っただけで、わくわくときめいたものです。
先日、病院がありましたので千葉の家に帰った時に、そういえば写真があったなと古いアルバムを探してみたら、長男を連れて乗りに行った時の写真が出てきました。


1985年ごろだったと思います。
上の写真は金谷駅、下の写真は千頭駅です。
今から40年も前ですね。
この長男も、今では大学受験の娘がいますから、いいおじさんですが、こうしてみると、家は5人の子供に恵まれましたが、私は立派に父親としての使命を全うしたんだと思います。
男の子4人を大学まで出して、娘を嫁がせたのですから、正直申し上げてこの辺で次のステージに進ませていただこうと考えている自分がいることに気づきます。
人生は人それぞれで、それぞれの人生がありますが、今、私が大井川鐵道を何とかしなければという立場にいることは、やはり、私じゃなければできないことなのではないかと考えるわけで、大井川鐵道はもちろん、もっと他にも私じゃなければできないことがあるとしたら、そういうことに時間を使うべきだろうなと考える自分がいるのです。



同じアルバムにこんな写真もありました。
鶯谷の駅で撮った推進運転の14系寝台列車。
そして、仙山線と常磐線の客車列車。
ここ半年で友人を3人も亡くした身としては、もうお父さん役はお仕舞にさせてもらって、自分はこの道を行くべきなんだろうなあと、そんなことを考える今夜であります。
いろんな意味で、人生は前に進まなければならないと私は思います。
SL50周年へ向けて、前へ!
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