C10‐8号機が重要部検査を終えて出区してきました。
今日は新金谷の駅の構内で行ったり来たり。
ボッ、ボッ、ボッ、ボッと、ドラフト音が響いていました。
いよいよ9月19日から運転開始です。
前にもお話した通り、この機関車は私にとっての思い出の機関車です。
昭和51年3月、高校受験を終えて晴れて自由の身になった時には国鉄路線上からはすでに蒸気機関車の姿はなく、唯一残っていたのが岩手県宮古市のラサ工業という工場の専用線で貨物列車を運んでいたこの機関車。
C11とかC12なら知ってますが、C10なんて知りませんでした。
でも、もう現役で走っているのはこの1両しかないのですから、私は同級生と連れたって、夜行列車に乗って宮古まで行ったのです。
キミマロ風に言うと、「あれからよんじゅうねん!!」
どうだ!
いやいや、40年どころではありません。
15歳⇒64歳ですから、もう半世紀です。
同一人物ですよ。
車両課のスタッフが、
「社長、ブログと同じ写真を撮りましょう。」
と声をかけてくれて、シャッターを切ってくれました。
機関車の横から係のお兄さんが出て来てるのは偶然です。(笑)
C10-8は石炭庫への階段の位置が反対になっているのと、ステップが撤去されていますが、同じ機関車です。
すごい写真でしょう。
15歳の時に宮古へ行って機関車によじ登って写真を撮影したのは、まるで今日この日のためにあるようなものですから、人生っておもしろいですね。
すべてがつながっているのです。
そりゃね、私だって今までいろいろイヤなことや、投げ出したいと思うことがありましたよ。
でも頑張って、信念で生きてきました。
そして、今日、こうなのですから、人生は捨てたもんじゃありませんよね。
今、15歳の自分に声をかけてあげるとしたら、「おもしろいから、一生懸命生きてごらんよ。」と言ってあげたい。
ていうか、たぶん、1976年3月のこの時、私は天の声を聴いたのでしょう。
「がんばれよ」って。
長く生きてると、そういう不思議な力を感じるときがあるものです。
ということで、9月19日から運転再開の黒SL、C10-8
かわね路号、南アルプス号は、1976年当時のラサ工業仕様で登場します。
後部は警戒色のトラ塗り、前部には手すり付き。
この姿は来年の2月までの期間限定となります。
これも車両課のスタッフの発案なんですよ。
「社長が来たから、ラサ工業時代の姿で出場させてもいいですか?」って。
こんな札も作ってくれているんです。
泣けてきますよ。
ありがたいことです。
本日の試運転の走行シーンはFACEBOOKの私のページか、大井川鐵道のページでご覧いただけます。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
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