本日、えちごトキめき鉄道の取締役会がありました。
その席上で、取締役の改選がありまして、新しい取締役候補者が選ばれました。
そして、そこに私の名前はありませんでした。
来月の株主総会で私はえちごトキめき鉄道の社長を退任させていただくこととなります。
新潟では5回の冬を経験しました。
今までの自分の人生にない、新鮮な経験をさせていただきました。
「駒子は見つかったか?」
口の悪い悪友たちはそんなことを言いますが、私は駒子を探しに来たのではありません。
取締役会が終わり、その後記者会見ということで、マスコミの皆様方のインタビューを受けました。
へそ曲がりの私は、そのインタビューの席上で反対側からマスコミの皆様方を撮ったりしていましたが、その瞬間にどういうわけか私の頭の中でフラッシュバックが起きました。
「結局、純子はここにもいなかったか・・・」
そう、私の頭の中に浮かんだのは純子のことでした。
もう50年も前の話ですが、私は北海道に夢中になっていました。
それは北海道には最後に活躍する蒸気機関車が走っていましたから、遠くて行くことはできないけれど、思いを馳せるだけでわくわくと心はときめきました。
実際に北海道に行かれるようになったのは高校生になってから。
でもその時に蒸気機関車の姿はすでになく、それでも私は汽車に乗って北海道を歩きました。
大人になってからも札幌の町を歩くのが好きで、そうですね、もう北海道には200回ぐらい行っていると思いますが、では、蒸気機関車の姿もなくなり、今では魅力的な列車もほとんど走っていない北海道に私はなぜそんなに魅かれるのか。
今日、記者会見の席上で、フラッシュバックのように思い出しました。
「純子だ。私は純子を探しているのだ。」
ベレー帽が似合う女の子。
赤いダッフルコートを着て、スケッチブックを両手で抱え、じっとこちらを見つめる純子。
雪の舞う町で、喫茶店の窓をのぞくとそこに純子が座っているかもしれない。
そう、私が探しているのは駒子じゃなくて純子なのだ。
不思議なものですね。
昨日の昼飯何食べたか思い出せない爺さんが、50年も前のことをふと思い出すのですから。
当時、私は文学青年。
その片鱗なのか、今でもこうして「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく」つらつらと書いているのですが、当時の悪友は純子ではなくナオミを探していました。
ナオミは直美ではなく、尚美でもなく、ナオミ。
「鳥塚、知ってるか? ナオミってのは外人の名前なんだぞ。直美とか尚美とかは当て字なんだ。」
「へ~」
と軽く受け流す私。
「居たんだよ、ナオミが」
そう言って、ナオミを見つけて喜んでいた友達。
「で、ナオミはどうした?」
しばらくして尋ねると、
「あいつは違ってたな」
でもって、彼はまたナオミを探す旅に出る。
「おいおい、ナオミって、そんなにいるのか?」
「たぶんね」
「で、お前はどうなんだ?」
「おれ?」
「純子だよ。見つかったか?」
「いや、まだだ」
「そうか。やっぱ、東京じゃダメだよ。札幌へ行かないと。」
ということで私は上野駅から汽車に乗る。
そのうち汽車に乗るなんてまどろっこしいことはしなくなって、
「ちょっと行ってくるわ」とひとっ飛び。
今のカミさんと所帯を持とうと思った時(前に別のカミさんが居たわけじゃないけど)
「純子か?」
「いや、たぶん違うと思う。」
「そうか、でも、お前が純子だと思えばいいんだよ。」
「まあな」
その純子のことをどういうわけか今日は突然思い出したのであります。
そういえばヤツもナオミを見つけたと言ってたけど、どうしたかな?
私は私で、今のカミさんを相変わらず純子だと思っているわけで、でも、ヤツがナオミは何人もいるかもしれないと言ったように、ベレー帽をかぶってダッフルコートが似合う純子はまだどこかにいるかもしれない。
5回の冬を雪国で過ごした私は、これからまた純子を探す旅を続けることになりそうです。
2人目の純子も、もしかしたらすぐ近くにいるかもしれないと思いつつ。
これが今日の私の気持ち。
6月26日までまだまだ新潟で純子を探します。
なぜなら、純子はこんな電車に乗ってやってくるはずですから。
とりあえず、渡辺淳一をもう一度読み返してみましょうかね。
千春を探していた女子を私は知っています。
彼女はすぐに見つかったって言ってたけど。
▼千春はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=1dCWZPDfXF8&t=4179s
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