ジンと肉列車、夜行列車報告

昨夜は観光急行の車両を使用した「ジンと肉列車」と「夜行列車」が走りました。

私は昨日の朝8時半に千葉の自宅を出て、10時から都内で1件打ち合わせがありまして、それが終わって東京駅から新幹線に乗ろうと思ったらダイヤが乱れていて1時間45分遅れで上越妙高に到着したのは昨日書きました通りですが、列車が遅れたためいったん高田の自宅へ戻ることができず、そのまま会社に直行して「ジンと肉列車」のスタートです。


直江津駅1番線で発車を待つ列車です。

ジンは地元で頑張っている越後薬草さんという会社とのコラボ企画で、新発売のジンソーダのキャンペーンの一環。
肉は地元の頸城牛を使ったステーキコースと、地元尽くしの内容です。


トキめき鉄道の職員に見送られて発車です。
奥には同時発車の越乃Shukuraが。


Shukuraが左へ離れていくと、カンパ~~イ。
スタートです。

では、ご乗車の皆様方のご紹介です。


1号車のクハ455のお客様は「朝から朝まで」の乗り続けるコース。
朝食から始まって、釜めし、スイーツ、そしてジンと肉と、おもてなしの満漢全席です。
お料理も立派でしょう。
トキ鉄の観光列車は雪月花は当然ですが、観光急行だって手を抜きませんからね。

新潟までいらしていただく皆様方へ、一生懸命おもてなしです。

このボトルに入っているのが越後薬草さんのYASOジン。
1本6000円する高級なジンですが、都内などでも置いているお店がたくさんあるようです。


今回乗客の皆様方にお試しいただいたのはこちらの缶入りジンソーダ。
このゴールデンウィークに発売になったばかりですが、地元のスーパーではこのように積まれて売られています。

お客様には飲みやすく、糖質もないので大好評でした。

越後薬草さんのスタッフの方にもご乗車いただいて車内でPRしていただきました。

ちなみにこのお料理の手前に添えられているのは同じく越後薬草さんで製造販売されているキムチ。
お値段少々お高めのキムチなんですが、こちらも皆様方にお召し上がりいただきました。

https://echigoyakuso.co.jp/products/mykimuchi/
▲越後薬草さんのキムチのリンク。

このキムチ、上越で見つけたらぜひお土産としてお買い求めください。
スーパーで売っています。


名立では貨物列車の通過待ち合わせのために約9分間停車。
すると運転士が窓を開けて「先生!」と叫ぶではありませんか。
そう、お客様の中に地元の高校の先生がいらして、運転士は先生の教え子だったのです。
先生大喜び。
「教え子の電車に乗せてもらえるなんて最高ですよ。」
ローカル鉄道あるあるのほほえましい光景でした。


夕日の海岸線を見ながら交直セクションを通過。
車内が暗くなってるのがわかりますか?


そしてそして、皆様方がそろそろお酒が回ってよい気分になってきたところで四五五神社のお出ましです。

皆さん、検査上がりの車両に乗れてよかったなあと思われているのでしょう。


ほら。
お賽銭がこんなにたくさん。

「いただきました~~」
毎度あり~~

皆様方にご利益がありますように。


ということで、直江津に戻りまして田島塗1号と並んだところで「ジンと肉列車」は終了です。

そして、22時に「夜行列車」が出発です。

テーブルを外した455の皆様方は朝8:42から乗り続けの皆様方ですから、東京から西へ下るかつての国鉄時代の急行列車だとすれば広島を過ぎたあたりでしょうか。
そろそろぐったり気味かと思いきや、皆様まだまだ元気で、これから始まる夜行に期待満々と言った感じでした。

今回の夜行列車には子鉄くんも参加しました。
小学生は夜行に乗れませんが、4月に中学生になって晴れて夜行のお客様。
人生初の夜行列車にお母さんがお見送りです。

お母さん、今にも泣きだしそうなご様子でしたが、もう中学生なんだから子離れしないとね。
本人は見送りに来てくれていることが恥ずかしそうでしたから、親離れの方が早そうですかね。

でも、大丈夫ですよ。
同じ号車には友だちがいっぱい乗っていますから。
年は離れていますが、みんな子鉄くんの友だちなのです。(笑)

人生最初の夜行列車。
きっと忘れられない経験になったことでしょう。

ということで無事に出発して行った夜行列車ですが、日が変わった0時20分には直江津駅に戻ってきました。
これから1時間ほど停車して夜鳴き蕎麦タイムです。


今回の夜鳴き蕎麦はカップ麺ではなくて本格的な中華そば。
それも、雪月花の特別コースでベジタリアンを中心とした創作料理をご提供いただいているYAGAIYAさんが、真夜中に出張してきてくれてラーメンをふるまってくれました。そして、焼きおにぎりもサービスです。
ほら、子鉄くんが一番に並んでます。

なぜ深夜に夜鳴き蕎麦をふるまうのか?
それは、昭和の時代には特急とは別に急行の夜行列車がたくさん走っていて、夜中に途中駅で長時間停車することがあったのです。
例えば機関車の付け替えや新聞、郵便類の積み下ろし、あるいは時間調整など、20分ぐらい停車する列車もたくさんあって、当時はそういう列車の到着に合わせて駅のホームでお蕎麦屋さんが開いていたのです。
その体験を令和の皆様に味わっていただくことで、夜行列車の思い出を持っていただければ、私たちの世代がそうだったように、これからの若い人たちが鉄道の旅を繋いで行ってくれるかもしれないというのがテーマなのです。


ということで1時間の停車もあっという間。
午前1時20分過ぎに夜行列車は今度は市振を目指して発車していきました。


そしてそして、夜が明けた4:50。
夜行列車は戻ってきました。


ここからはこの編成がそのまま5:06発のはねうまラインの始発列車として妙高高原に向かいます。
これがいわゆる「夜行くずれ」と呼ばれるもので、昭和の時代には一晩走ってきた急行の夜行列車が、末端区間でそのまま始発列車(普通列車)になるようなケースが見られましたので、その再現です。

始発列車ですから一般のお客様もご乗車になられるということで、ごみの撤去や夜行の道具の撤去をして始発列車として発車していきました。

夜行列車のお客様は数名直江津で下車されましたが、ほとんどのお客様はそのまま妙高高原行にご乗車になられて出ていきました。

ということで私の仕事はここで終了。

いやいや、60過ぎのお爺さんには結構しんどい仕事ではありますが、大みそかから元日にかけての年越し夜行以来の久しぶりの完徹となりました。

でも、今回も皆様方の笑顔が見られて、疲れも吹っ飛ぶという感じです。
まして、1日で観光急行が百万円ぐらい稼ぐのですから、赤字の3セク会社としては、取りこぼしのないようにしっかり稼ぐ姿を見せていかなければなりませんしね。

おかげさまで今回も無事に終了することができました。

ご乗車いただきました皆様、ありがとうございました。