いつも観光急行やレールパークに来てくれている中学生の男の子が声をかけてきました。
「社長さん、クリスマスと大晦日に夜行列車走るんですよね。」
「そうだよ。申し込んだ?」
私が尋ねると「いいえ」という返事。
そりゃそうだよね、中学生だもん。
でも、なんだかうれしそうなんです。
その笑顔を見て、私の中で半世紀の時間軸が一気に飛んでいきました。

当時の私は時刻表少年。
いつもいつも時刻表を片手に、「ああ、今頃列車は走っているんだろうなあ。」と、行くことができない遠い世界に思いを馳せていました。
上野駅を23:55に出る急行「ばんだい6号」に乗ると会津若松に5:12に到着します。
電車は今トキ鉄で走っている455系です。
そして、会津若松でわずか5分の待ち合わせで日中線の始発列車に接続します。

日中線は当時朝、夕、夜と一日3往復しか列車が走らない路線。
日中線なのに日中には走らないと揶揄されていましたが、列車番号を見ればおわかりの通り、3往復すべて機関車が引く列車。
私が中学生の時はC11が引いていたのです。
だから、455系電車は私にとってはSLが走っているところまで連れて行ってくれる電車で、「遠くへ行きたい」という少年の気持ちを掻き立てる存在だったのです。
でも、昭和の時代の中学生の分際としては、夜行列車に乗って会津若松までC11に会いに行くことなど、そう簡単にできるはずはありません。
時刻表を見ながら、ただただ「あぁ、今頃あの列車が走っているんだ。」と思うだけで、少年は満足するしかなかったのです。
夜行列車に申し込みをしなかった少年が笑顔でいたのはそういうことなんでしょう。
トキめき鉄道で夜行列車が走る。
そう思っただけで、今の自分には乗ることはできないけれど、やっぱりうれしいなあ。
その気持ち、痛いほどよくわかりますよ。
50年前の私も同じだったから。
455系電車というのは東京の少年にとっては交流区間まで行く電車ですから、「これに乗れば遠くへ連れて行ってくれる。そこへ行けばSLが僕を迎えてくれる。」
そういう存在だったのです。
だから、観光急行列車とD51レールパークはセットなんです。
455系電車に乗って直江津へ行けば、そこでD51が出迎えてくれる。
そういう夢のような世界があっても良いんじゃないでしょうか。
私は「鉄道は夢と希望を乗せて走っている。」と思っています。
今は夜行列車に乗ることができないけど、「いつかは乗ってみたい。」という少年が、高校生になって、夜行列車に乗れるようになる日が来るまで、455系を走り続けさせたいと私は考えています。
50年前に夢を見た会津のC11は、私が高校生になるまで待ってはくれませんでしたけど、そんな私だから、今は乗れないけれど夢見る少年たちが、乗れるようになるまで待ってあげたい。それまで走り続けさせたいと思っています。
11月28日、455系クラウドファンディング開始します。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。

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