今朝のNHKニュースでこの秋に只見線が11年ぶりに復活するという話を放送していました。
まさに奇跡のようですね。
沿線住民の皆様、只見線ファンの皆様、本当におめでとうございます。
NHKニュースの画面から。
大越君が出ていてびっくりしました。
彼はおそらく世界で一番只見線に乗った男。
今日の放送では1000回以上乗っていると出ていました。
もう29歳になるんですね。
大越君などと君呼ばわりしたら失礼ですね。
何しろ最初に会ったころから見るとずいぶん大人になりましたから。(笑)
乗車記録のノートを見せてくれた大越君。
とにかく只見線に乗ることを毎週繰り返していて、「こいつ、何考えてるんだ?」と思ったことを思い出しました。
だって、山手線とはわけ違うんですよ。
列車本数が少なく、なかなか乗れない。
週に1往復したとして月8回。
1年で100回ちょっと。
1000回と言えば、それを10年近く続けることになるわけですから。
何しろ他にもすることはあるはずで、学校や仕事だってある。
最後に彼に会ったのが去年の3月ですが、今日のニュースでは沿線に住んで観光用の船頭さんをしているらしい。
運転再開のめどが立った時に、地域の皆様方に「皆さんの活動には頭が下がります。」と申し上げましたところ、「鳥塚さん、何言ってるんですか。あなたがいたから私たちはここまでこれたんですよ。」と言われました。
「あなたが、『只見線はローカル線の横綱です。』と言ってくれた言葉は忘れません。」と言われました。
そういえば、確かに言った。
いつ言ったかというと、このとき。
平成24年ということは2012年。
災害で不通になった翌年。皆さんが絶望的になっているときに、何とか励まさなければならないと思って、「只見線はローカル線の横綱です。」と言ったのであります。
「あの時の鳥塚さんのあの言葉が、私たちに自信を付けてくれたのです。」
あれから10年ですね。
あの時は私も絶望的な気持ちでした。
何か所も鉄橋が流されて、橋脚から崩されていましたから。
でも、夢と希望を持って進めば必ず道は開けるということで、私も只見線の応援に何度も通ったのであります。
やっぱり、夢と希望を持ち続けることは大事なのだと、自分自身に言い聞かせながら。
ではなぜ、私が只見線に対してそんな気持ちになったかと言えば、それはこれです。
見えますか?
昭和46年の日中線の時刻表。
日中線というのは会津若松から喜多方で分岐して熱塩というところまで走っていた支線で、列車は1日3往復のみ。朝1往復、夕方2往復のダイヤで、昼間は列車が走らないのに日中線とはこれ如何に。と揶揄されていた路線ですが、時刻表を見て気が付きますか?
当時でも珍しかった、全列車機関車が引く客車列車だったのです。
列車番号にDとかMなどが付いていないでしょう。
すべてC11が引く列車だったんです。
昭和46年。
私は小学校5年生。
当時の会津はとても遠い所でした。
こちらは磐越西線の時刻表。
上野を23:50に出る急行「ばんだい5号」に乗ると会津若松は翌朝の5:10着。
その4分後の5:14に会津若松を出るのが日中線の列車です。
時刻表を見ながら、「ばんだい5号」に乗って行けば、SLの列車に乗れるんだと、夜行列車で行くほど遠い遠い会津に思いを馳せていたのでした。
そして、その「ばんだい5号」というのは、まさしく今、トキめき鉄道で走っている455系なのです。
26年前に、こんなテレフォンカードを作りました。
「この電車に乗って行けばSLに会える!」
50年前にそう思っていたガキが、今、トキめき鉄道で455とD51をやっていて、そういうガキの成れの果てが、只見線に応援メッセージを送り続けたのであります。
やっぱり、子供の頃、鉄道に親しんでおくということは本当に大事なことなのだと、今さらながらに思うのでありまして、今日のニュースで紹介された大越君のような人たちが、次の時代を作ってくことになるんだろうなあと、私は確信しているのであります。
只見線沿線の皆様、全線運転再開はゴールではありません。
肝心なのはこれからです。
これからも一緒に頑張りましょう。
何しろ私は今、新潟県に居るのですからね。
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