黙って仕事をする子たち

昨年スタートしました観光急行とD51レールパークは同時進行形式ですからセットで一つの商品として考えています。

どちらも時代は昭和40年~50年。
特に鉄道百年としてSLブームが起きた昭和47年(1972年)がテーマです。

いくら昭和の再現と言っても、「昭和、昭和」と叫ぶだけではピントがボケてしまいます。
何しろ昭和というのは幅が広いのですから、こういう設定をきちんとやらないと笑われてしまうのです。
「あぁ、知ったかぶりをしてるだけだな。」と思われるとお客様に底の浅さを見透かされてしまいますからね。

鉄道百年当時の東京や大阪は、もちろん今もそうですが、基本的には直流電化区間。
観光急行に使われている交直両用型の国鉄形電車は、その直流電化区間を越えて交流電化区間まで行く電車ですから、都会の子供たちにとって見たら「遠くまで行く電車」として憧れの存在でした。

田舎の人たちが都会にあこがれていたように、都会の子供たちは田舎にあこがれていた。
なぜならば田舎へ行けば蒸気機関車が走っていて、ピンク色の遠くへ行く急行電車に乗って行けばSLが走っているところまで連れて行ってくれたのです。

東京からなら、会津や陸羽東線、石巻線、花輪線などは当時まだSLが活躍していましたし、大阪からなら七尾線や越美北線、あるいは中国九州方面では山陰本線、筑豊本線など、この電車に何時間も揺られて行けばSLの姿を見ることができましたから、今、トキめき鉄道では同じ時代を再現して昭和40年代後半の「遠くへ行く電車に乗って行くと、D51が走っているところにたどり着く。」ことをテーマにしているのです。

そして、そのD51が走っているところというのが直江津なのです。

直江津というところは昭和の時代は東京の人も大阪の人も皆知っているところでした。
なぜなら、上野駅にも大阪駅にも直江津行という看板がかかっていて、直江津行という列車が走っていたからで、決して辺境の地のイメージではなくて、長距離列車に揺られていくと到着する鉄道のターミナルというイメージなのです。

そして、それを再現して、D51が走っている憧れの地というストーリーを組み立てているのです。

そう考えると、この子はつべこべ文句も言わずに黙って一生懸命仕事をしてくれていると思いませんか。

そして、車内にも黙々と仕事をしている子たちがいるのですよ。

私のコレクションの中から昭和40年代後半の北陸信越方面にゆかりがある中吊り広告を集めて吊り下げてあるのです。

そして妻面には同時代の国鉄路線図が北海道から九州まで順番に掲示してあります。

この子たちが文句ひとつ言わず、一生懸命おもてなしをしてくれているおかげで、観光急行が昭和の国鉄時代の旅の雰囲気を醸し出してくれていて、直江津駅に到着するとそこにD51が待っているというストーリーが生きてくるのです。

これが私が提案する鉄道観光。

もっともお金が無いからいろいろ工夫するわけでして、お金があったらわざわざ自分のコレクションを持ってきて並べたりなんかしませんよ。

でもまあ、こういうところは評価されないのであります。

なぜなら、何をやっても赤字ですからね。

でも、何度も言いますが、田舎の鉄道が赤字だというのは、学校で言ったら国数英理社ができないだけの話であって、じゃあその子はダメなのかと言うと、決してそうではない。
音楽だって図工だって体育だって、いくらだって勝負できるところがあるというのが田舎の鉄道なのだと私は思いますよ。

逆に言えば、東京の電車の中にこんな広告を出していたら怒られますからね。

それが都会と田舎の違いであって、その価値観の違いが今の時代は観光になるのであります。

こうして見ると、ホームに立っただけで見えるんじゃないですか?
50年前が。

直江津駅の1番ホームが観光地になるということがおわかりいただけると思いますが、いかがでしょうか。

この価値がご理解いただける方だけがお客様になれる。
これが現代の究極の観光だと私は考えます。