世の中が変わったのか、私が変わったのか?

私のブログをお読みいただいている全国2万人の読者の皆様方ならお気づきだと思いますが、私は世の中の変化というものに敏感でありたいといつも思っています。

世の中の変化に自分が付いていかれなくなることに対する恐怖感と言いますか。

例えば国鉄形車両などという半世紀も前の電車を走らせているとはいえ、当時のままだけでは商品になりにくい部分がありますから、少しずつ今風にアレンジしたりして、当時の雰囲気を大事にしつつも、今の人たちに受け入れていただけるような、そんな商品作りを心掛けているのでありますが、そんな風にいつもいつも心掛けているつもりではいても、時代の流れが恐ろしく感じることが時として起きるのであります。

私は世の中の変化を一番よく表しているのはスーパーマーケットだと思っていますから、よく近所のモールへ出かけていろいろなお店のいろいろな品ぞろえを見るのですが、このあいだカルディで珍しいものを見つけたので買いました。

それが写真右のポメリーのマスタードと左のリンゴジュース。

あぁ、これ、昔よく食べたり飲んだりしたなあ。

そう思って手に取ってレジに向かいました。

レジへ行く途中にキャンベルのトマトスープやディジョンマスタードなども手に取ってお会計したのであります。

でもって、お家へ帰って食したのですが、このポメリーのマスタードが「マズイ!」

あれ、あれ、あれ?

昔は、と言っても40年以上前ですが、初めて出会って食べたときにはこんなに美味しいものは無いと思ったのに。

考えてみればあのころの日本には粒粒マスタードなどというものは無かった。
マスタードそのものもなくて、あったのは「辛子」。
粉の辛子をお猪口に入れて水で溶いて逆さにしてテーブルに置いておくのが定番でした。
なぜ逆さにするかというと、香りが飛んでしまうから。
わさびも同様で、つまり、あの、ツ~ンとくる辛子のツ~ンが飛んでしまいますから、親の世代は小さなお猪口に粉を入れて、必要な分量だけ水で溶いていたのです。

私はそのツ~ンとくるのが苦手でしたので辛子は使わなかったのですが、そんな時代にこのポメリーのマスタードに出会ったら、いわゆる日本の辛子とは全く別物で、「いやぁ、外国にはこんなうまいものがあるんだ。」と、ステーキなどに付けて食べていたのであります。

その後、あらびきウインナーというものが出始めて、同時にチューブに入った粒粒マスタードも一般化しまして、今はいつもだいたいそれを使っているのですが、久しぶりにこのボトルを目にして「これ、うまかったんだよなあ。」と買ってみたら「マズイ!」のであります。

考えてみると、このポメリーのマスタードは瓶も全く昔と同じですから、おそらく昔からの製法をきちんと守って作っているのだと思います。
でも、その後に登場した日本のチューブに入った粒粒マスタードが、改良に改良を重ねて、日本人の口に合うように変化してきたのでしょう。30年とか40年という歳月はそういうものであるはずですから。
そんな時に気まぐれで買った昔ながらの製法を守るこのポメリーのマスタードが、おいしくなった日本の粒粒マスタードの味に慣れた私の口には不味く感じたのだと思います。

ところが、ツンツン辛子が苦手な私は、外国の会社にいたこともあって、中央に写っているハインツのマスタードは若いころからずっと使ってきていますので全く違和感はありません。

そう考えると、左に写っているアメリカのリンゴジュースや、後ろのキャンベルのトマトスープなどはここ20年、いや30年以上味わっておりませんので、昔はとてもおいしいと感じていたものが、今も昔と同様に美味しいのかどうかはちょっと勇気が必要な状況であります。

つまり、食べる気がしない、ということですが、これはおそらく加齢による私の好みの変化もありますから、ここに並べた食品群には何の罪もないということは、彼らの名誉にかけて申し上げておく必要がありますね。

昔可愛かったあの子が、今でも可愛いはずはありませんから、ゆめゆめ初恋の女の子に会いたいなどと思ってはいけないわけですが、私だって紅顔の美少年だったはずが、今となっては見る影もないジジイになったのでありますから、人様のことをとやかく言う資格はありません。

一つだけ言えることは、時間の経過というのはあらゆる意味で残酷なのだということであります。