ギザ十の悲哀

最近は銀行に小銭をたくさん持っていくと手数料を取られるらしい。

500枚以上は手数料がかかるらしくてその料金が税込み550円。
1円玉だと500枚持ち込んだらマイナスですね。

小銭を一生懸命貯金箱に貯めるのが昭和の基礎的貯金術だったのですが、もうそういう時代でもないのでしょうか。

私は小銭入れをいつも別に持っていて、その小銭入れは中が2つに分かれています。
片方には10円以上のコインを入れて、もう片方には1円玉と5円玉。
そうやってきちんと分けておかないと小銭の管理ができなくなってジャラジャラ、パンパンになりますから、若いころから気を付けているのですが、それでも時々小銭入れがパンパンになるときがあります。

この間も10円玉がたくさんになってしまったので、自動販売機でお水を買う時に10枚以上投入してみました。
すると、返却口から1枚チャリ~ンと戻ってくる。

あれ? と思ってもう一度投入すると、やはりチャリ~ン。

おや? と思ってよく見るとコインの回りにギザギザが付いているギザ十ではないですか。

おお、久しぶりのギザ十。

製造は昭和26年とあります。

今から70年前ですね。

「君は70年間頑張って来てるんだね。」

そう思って、別の10円玉でお水を買って、ギザ十は小銭入れの1円5円を入れる方にしまいました。
こうすれば使いませんからね。

それにしても70年、この日本の変遷を見て来たギザ十なのに、もう自動販売機では認識されなくなってきているのでしょうか。
つまり世の中に受け入れられなくなっている。

先日の京王線の放火事件を真似して、昨日、九州新幹線に火をつけた人間が69歳。
そして今日は「のぞみ」の中で暴行事件を起こして列車を緊急停車させた人間も同じ69歳。

69歳ということは昭和26年か、昭和27年生まれ。
ギザ十と一緒の時代を過ごしてきたお爺さんにいったい何があったのだろうか。

自動販売機に受け付けてもらえないギザ十と、世の中からドロップアウトしていくお爺さん。

61歳の私としては、この先自分自身どう身を処したらよいのか。
そんなことをギザ十を見ていて思いました。

頑張ってきたのにね。

静かにフェードアウトの方法を探るべきなのでしょうね。

それにしても、銀行に小銭を持っていくと数えたくない、数えるのが面倒くさい時代のようですが、銀行がお金を数えるのが面倒くさいというのはどうもおかしい気がします。
鉄道会社がお客を乗せるのが面倒くさいというのと同じ。

そういう基本的なことを面倒くさがるということは、なんだか衰退していくような気がしないでもないですね。

人々が小銭どころかお札も使わなくなって、あちらこちらでピッ、ピッの時代になりましたが、貨幣や紙幣の流通が不要になってくると、銀行も不要になってくる。
駅前から銀行の支店が消えてATMだけになったと思ったら、そのATMもどんどん姿を消していっていますから、そのうち銀行そのものも消えていくのかもしれませんね。

世の中が変わっていく中で、昭和26年のギザ十は何を思うのでしょうか。