今日は8月12日。
毎年この時期になると思い出します。
御巣鷹のこと。
あの時私は25歳。
全国を飛び回る仕事をしていて飛行機にもよく乗っていましたし、寝台特急の常連客でもありました。
家族の待つ家に帰って7時のニュースを見ていたらチャイムと同時に画面にニュース速報が出ました。
「日航機消息を絶つ。」
身体に戦慄が走りました。
ちょうどお盆の帰省の時期。
飛行機は満席のはずです。
その晩はずっとテレビを点けっぱなしで、翌朝、早朝のニュースで墜落している画像が流れました。
そのころから私はよく予約なしで飛行機に飛び乗ったりしていましたので、「500人乗りのジャンボなら2~3人はスタンバイで飛び乗った人も居るだろうし、予約していて乗れなかった人も居るだろう。」と、そんな運命のドラマがあったかもしれないなどと考えたものでした。
彼らを乗せたジャンボ機が飛び立って行った時刻に自宅から西の空を見て、忘れてはいけないことを今更のように誓いました。
35年ですね。
テレビでもご遺族の皆様方が高齢化されて、そろそろ登山ができなくなって来ているということが伝えられていました。
30年が一世代ですから、35年も経つと世代が交代して行くわけです。
特に小さなお子さんが事故に巻き込まれた方々は、皆さんご高齢になられていて、それでもわが子に会いに行くという慰霊登山を続けられていらっしゃるお姿を見るにつけ、心が痛みます。
法要というものはいったい何年で終わりになるのでしょうか?
最近、そんな疑問を持つことがあります。
通常は33回忌と言われていますね。
前述のように、30年が一世代ですから、その時間が過ぎると送った側が送られる側になるわけで、人間も交代して行くわけです。
日本航空が会社としていつまで法要を続けるかということは、会社の考え方がありますからお任せすることとして、私には気になることがあります。
それは、日本における航空機事故というのはこの日航123便墜落事故だけではなく、その前にもたくさんの事故があって、たくさんの尊い命が犠牲になっているということです。
にもかかわらず、マスコミの報道はこの123便の事故のことを35年も続けていて、それ以外の航空機事故やその犠牲になられた方々のことが忘れられてしまっているのではないかと思うからです。
この123便の事故は大変ショッキングな事故でした。
それは、520名という単独航空機事故としては世界最大の事故であることと、墜落まで約30分間飛行機がコントロールを失ったまま飛び続けたことで、手帳に書き記すなど家族にダイイングメッセージを送られた方がたくさんいらしたことなど、ショッキングな内容だったことが大きく伝えられて国民の印象に残っていますから、「日本航空は何やってるんだ!」という当時の論調が拡大されて、そればかりが強調されたからだと思います。
確かに日本航空も全日空もこの123便の事故を最後に、運航上のトラブルで乗員乗客が死亡するという事故は発生していません。これは実に関係者の努力の賜物であり、世界の航空史上類を見ないほどの長期間無事故記録を現在も更新中で、その意味で、日本ではこの事故を教訓として航空の安全性が格段に向上したという事実がありますから、あらゆる角度から再発防止のための事例になったとは思いますが、この事故のショッキングさゆえに、逆に忘れ去られているような過去の航空機事故の犠牲者の皆様方にも、私は今日8月12日は思いを馳せたいと考えているのです。
私が記憶している限りですが、日本で発生した、あるいは日本の航空会社が発生させた乗員乗客が死亡した航空機事故を調べてみました。(人数は死者数)
1966年2月4日
全日空羽田沖墜落事故 B727 133人
1966年3月4日
カナダ太平洋航空 羽田空港着陸失敗事故 DC8 64人
1966年3月5日
英国海外航空 富士山墜落事故 B707 124人
1966年8月 日本航空羽田空港墜落事故 CV880 5人(乗員訓練機)
1966年11月13日
全日空 松山沖墜落事故 YS11 50人
1970年7月22日
フライングタイガー 那覇空港墜落事故 DC8 4人(貨物機)
1971年7月3日
東亜国内航空 ばんだい号墜落事故(函館) YS11 68人
1971年7月30日
全日空雫石事故(自衛隊機との空中衝突) B727 162人
1972年6月14日
日本航空ニューデリー事故 DC8 86名
1972年11月28日
日本航空モスクワ事故 DC8 62名
1977年1月13日
日本航空アンカレッジ事故 DC8 5名(貨物機)
1977年5月27日
日本航空クアラルンプール事故 DC8 34名
1982年2月9日
日本航空羽田沖墜落事故(逆噴射事故) DC8 24名
1985年8月12日
日本航空 御巣鷹山事故 B747 520名
抜けているものがあるかもしれませんが、全日空も日本航空もこれだけたくさんの事故を起こしていて、123便の犠牲者を上回る数の方々の命が奪われているのです。
全日空は1971年の雫石事故以降墜落事故は発生させていません。
その後、日本航空の連続事故が発生しましたが、35年前の御巣鷹山事故以降はピタッと発生が止まっています。
これは、たくさんの尊い人命の上に再発防止策が立てられているということですから、御巣鷹山はもちろんですが、やはりジェット化、大量輸送時代が始まった昭和40年代初頭から続いた連続事故のこともしっかりと教訓として記憶しておかなければならないと、私は毎年この日が来る度に考えるのです。
私が勤務していた会社も上から3番目、1966年3月5日に富士山で墜落事故を起こしています。
羽田発香港行として飛び立ったジェット旅客機が富士山の太郎坊というところで空中分解しました。
はっきりしたことはわかりませんが、山岳波の影響を受けた晴天乱流に巻き込まれて飛行中に空中分解したことが原因とされています。
私の会社の先輩方はこの事故を経験されていましたから、皆さんピリピリしていました。
先輩の一人は毎年慰霊登山をされていました。
定年を機に、「これで一区切りつけようと思う。」と言われていましたが、40年近く通い続けた人生だったと思います。
おかげさまで、私も在職中に大きな事故を経験することなく勤務することができましたが、今でも輸送機関を預かっている責任者ですから、「考えられる安全対策はすべて取る」という基本方針は、若いころからたたき上げられたものがありますので、忠実に守っています。
そして、もう1つ言えることは、事故というのは未知の原因で発生することがあるということです。
例えば、航空機事故で言えば金属疲労などということは以前は未知のことであり、事故が起きて初めて理解される現象です。鉄道事故で言えば競合脱線やせり上がり脱線などということは、なかなか解明されなかった原因です。
こういうことは、事例を一生懸命勉強して行くことで、未知のものを既知とする考え方を身に付けなければなりません。
航空機事故の事故原因と鉄道事故の事故原因とでは別の業界のことではありますが、共通の要素も多くあると考えます。2つの業界を経験するものとして、しっかりと教訓を活かして、この国の輸送に貢献して行きたいと、心を新たにする8月12日なのです。
ところで皆さん、今日、8月12日には、もう一つ悲劇があるのをご存知ですが。
1958年8月12日
全日空下田沖事故 DC3 33名
1958年(昭和33年)の今日、全日空機が伊豆半島の下田沖で消息を絶ち墜落した事故が発生しています。
私が生まれる以前の事故ですが、30人乗りのDC3でパイロット2人、客室乗務員1人を含む33名がお亡くなりになられているということは、満席だったということですね。
日本における航空輸送が黎明期と言われた時代ですが、しっかりとした需要があったということもこの数字からわかるというものです。
今日の輸送の安全は、こういうたくさんの皆様方の尊い命の犠牲の上にあるということは、やはり今後も考えていきたいと私は思います。
この間地図を見ていたら、御巣鷹山というのが近くにあることに気がつきました。
もしかしたら日本にこの名前の山がいくつかあるのかもしれませんが、私としては「忘れるなよ。」と言われているような気がして、心を新たにしたのです。
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