103系のマスク

今日、会社から帰りましたら郵便受けにマスクが入っていました。

うれしいな。

素直に喜んでいます。
一家に2枚でしたっけ?
コロナにかからないように、健康に注意してくださいという国から私と私の家族への贈り物ですから。

このマスクの配布に関しては、みなさんそれぞれいろいろお考えはあると思います。
でも、届いてみると私は正直うれしいですよ。

昔、といっても20年以上前ですが、飛行機会社に居る時に国の仕事や皇室のお仕事のお手伝いをさせていただいたことがあります。
その時、タバコをいただいたんです。
恩賜煙草と言いまして、桐の箱に入って菊の御紋が付いたタバコ。
今はどうか知りませんが、当時はそういうものが配られました。
「ご苦労様」の印だったと思います。

その時私は既にタバコはやめていましたし、吸っていたとしても「では、さっそく」と取り出して吸うものでもないと思いましたので、そのまま母のところへ持って行きました。

「こんなのもらったよ。」
と、私が差し出すと、母は、
「あら、恩賜煙草じゃない。」
そういって、仏壇にお供えしました。

「昔、兄さんが海軍から帰って来たときに見たことがある。お父さんが目を細めてありがたがっていた。」

兄さんというのは大正生まれのおふくろの兄貴で、お父さんというのはおじいちゃんのことです。

お国(天皇陛下)から頂いたありがたいものだったんですね。

次に恩賜煙草をいただいた時には義父に届けました。
昭和2年生まれの義父は大蔵省の印刷局を勤め上げた人で、たぶんこういうものにもかかわっていたんだと思います。

「おっ、良いものもらったな。」
「おじいちゃんにあげようと思って。」
「そうか、そうか。じゃあ」
といって大事そうにたんすの引き出しにしまいました。

自分の娘の旦那が恩賜煙草をもらったことに対して、うれしかったんじゃないかなと思います。

両方の親にちょっとだけ親孝行ができたような気がしたことを覚えていますが、このマスクをいただいた時に、私はなぜかそんなことを思い出したんです。

実際に手にする前までは、「布マスク、いつ来るんだろう。」「でも、時機を逸してるしなあ。」などと思っていたのですが、いざ届いてみて、手にしてみたら不思議ですね。

国が自分のために健康を気遣ってマスクを送ってくれたんだなあ。

そんなことを思いました。

確かにおめでたい奴かもしれません。

でも、マスク1つで安倍さんにコロッと騙されたわけではありません。
まあ、安倍さんも国民を騙そうと思ってわざわざこんな手が込んだことをしているとも思えないし。

私は安倍さんのファンでもなければ崇拝者でもありません。
ただ、国民として総理大臣を罵倒したり悪口を言ったりするのは、あまり気が進みません。
まして安倍さんと私は同じ病気ですから、第1次安倍政権の時、へなちょこになって政治などできなくなってしまったこともよくわかりますし、その後、良い薬が開発されて、ガンガン内政や外交をこなされていますが、この病気の人にとって、どれだけ大変なことなのかは自分がよくわかりますから、素直に「頑張ってるなあ。」と、ある意味で尊敬しているのも事実です。

このところ、長くやりすぎたのか、疲れが見えてきている気がしないでもないですから、早くソフトランディングされて、ごゆっくりされるのはいかがかと思いますが、だからといって「こんなものに税金使いやがって」というような、そういう意見ではありません。

布マスクが小さい。

確かにそうですね。

でも、昔のマスクはこうでした。
いつのころからか、不織布のマスクが出てきて、アコーディオンのように蛇腹を開くと顎まですっぽり覆われるようなマスクが主流になりました。
最近では、カラストンビやアヒルやカエルなど、いろいろ出てきましたから、そういう時代になった今、布マスクをもらって付けてみると、「何だこれ?」となるんでしょうね。

でも、ちょっと前までは顎が出る布マスクが主流だったことは間違いありません。
その証拠に「風邪ひき」のイラストをネットでフリーの素材を探してみても、今でも多くが布マスクです。

だから、布マスクとはそういうものであって、間違って子供用が届いたのでもなく、こんなもの使えないというようなものでもないんですね。

感情的なお話は別として、私は、布マスクというのは、つまりは昭和の時代のマスクだったんだろうなあと。

最新型のマスクとはデザインも機能も、あるいは使い捨てであるか洗って使えるかという点も、今のマスクに慣れた人たちにとってみたら、正直言って違和感があるんでしょうね。

山手線の電車だってそうでしょう。
今の電車はLEDだし、車内広告で動画も見られるし、ベビーカーがそのまま乗っても大丈夫。
そういう電車が当たり前だと思っている時に、ホームで待っていたら103系の電車が入ってきたとしたら、普通の人なら、
「何だこの電車?」
となるでしょう。
「揺れるし、エアコンも利きが悪いし、動画も流れてないし、Wifiも使えない!」
って言うんじゃないでしょうか。

つまり、まあ、布マスクというのは電車で行ったら103系のようなものなのですよ。

だから、233や235が当たり前だと思っている皆さんからしたら、とてもじゃないけど受け入れられない。
いくら昔はそうだったとはいってもね。

でも、私は、そう考えたら103系の布マスクは、なんだか懐かしくて、いろいろ思い出して、なんとなく親近感が得られるから、うれしいと思っているのです。

こんなもの要らないから寄付するって人もいらっしゃるようですが、どうなんでしょうかね。

自分が要らないものを誰かにあげるのって、寄付なんでしょうか?

自分が必要なものを人にあげるから寄付なんじゃないでしょうか?

軽々しく寄付なんて言葉を言ってほしくないなあ。

私は、ありがたくいただいて、とりあえずいつか使うことになるかもしれませんから、大切に引き出しに入れてしまっておこうと思います。
自分の親の世代から学んだように。

マスクをお届けいただきましてありがとうございました。