もう一度お会いしたかったです。

JR東日本元社長の松田昌士さんがお亡くなりになられました。

84歳でした。

松田昌士氏が死去 JR東日本元社長

実は御縁がありましてちょうど2年前の5月にお会いしてお話をさせていただきました。

場所は議員会館。
その時のブログがこちらです。

2018年5月7日のブログ

どこに行って誰に会ったかは書きませんでしたが、実はこの時、JR北海道はどうやったら再生できるのか、あなたの意見を聞きたいと言われまして、お会いしたのが松田昌士さんと北海道を代表する先生方でした。

松田さんは私のほぼ親の世代で戦前派。
国鉄改革で相当ご苦労されたお話をお伺いさせていただきました。

「ボクは北海道出身なんでね、分割民営化の時に『北海道にしてくれ。』って言ったんだけど、『お前は東をやれ』ってことになっちゃいましてね。」

などと、当時のお話もしていただきましたが、青函トンネルが新幹線と貨物列車が共用になっているために、新幹線に速度制限が課せられている話になった時に、

「青函トンネルなんて、もう1本掘っちゃえばいいんだよ。今ならそれほど難しくないはずだ。」

「貨物専用の連絡船を作って、貨物列車を丸ごと乗せれば、当時の青函連絡船は4時間かかってたけど、今なら3時間ぐらいで行くだろう。日中時間帯はそうやって、夜間だけトンネルを走るなど、使い分ければ新幹線はもっと高速になるんだ。」

初めてお会いした私にこんなお話をしていただいたことがとても印象に残っています。

私は、「新幹線に貨物を載せて走ればよい。」と考えていましたが、とてもじゃありませんがそんなことを言いだすことはできませんでした。(笑)

あれから2年。
世の中が急激に変わりました。
今なら新幹線が貨物を運ぶという案もまんざらではないと思いますが、もう一度松田さんにお会いしてお話を聞きたかったなあと思います。

実は後日談がありまして、この時にお会いした北海道を代表する先生方が、いすみ鉄道に興味を持たれて実際に訪ねて来てくれたのです。
その時、私は先約がありまして対応できなかったものですから、カケス団長にお願いしたんですが、とんでもないことになりまして・・・・

カケス団長は相手が誰かがわかりませんので、いらしていただいた先生方になんとなんと「い鉄くん」をかぶせちゃったのです。

2018年5月21日 「団長流のおもてなし」

この時は松田さんはいらっしゃいませんでしたが。

松田さんには本当にもう一度お会いして、いろいろなお話が聞きたかったと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

合掌