初恋のガールフレンド。
皆さんもいらっしゃると思います。
でも、大人になってから、「あの子、どうしてるかな?」なんて思ったとしても会ってはいけない。
これは世の常、人の常。
なにしろ自分の心の中で思いばかりが膨らんでいるにもかかわらず、残酷にも、そして誰にも公平に時は過ぎているのです。
いくら昔可愛かったからと言って、ほぼ100パーセントの確率で、今はそうではないのです。(昨日会った高校の同級生の美魔女軍団は除く!)
これは女子の場合も同じ。
カッコよかった彼氏が、頭は禿げ上がり、腹は出ていて見る影もないというのが世の常人の常だからです。
なにしろ私が言うのだから間違いない。
でも、やっぱり近くにいると知っていたら、会いたくなるのも世の常人の常。
ということで、40数年ぶりに本日は会いに行ってきました。
▲40数年ぶりに再会した可愛い子ちゃんです。
この子は昔と寸分変わらず、再会することができました。
旧頸城鉄道のコッペル2号機です。
この可愛い子ちゃんは鉄道百年の年、1972年(昭和47年)にここ新潟から埼玉県のユネスコ村に出稼ぎに来ていて、そのころの私は夢中になって会いに行ったのです。
当時、東京近郊で国鉄の蒸気機関車はすでになく、貴婦人やグラマラスな女性にはなかなか会うことはできませんでしたが、この子は一番近くで頑張ってくれていて、小学生だった私は惚れ込んで通い続けたのであります。
▲ユネスコ村-西武遊園地間の西武山口線で活躍していた当時のコッペル2号機と当時の記念切符。
▲高校生の時の私。
西武山口線に通い詰めていた頃です。
今と全く変わらないでしょう・・・・・
さて、
この可愛い子ちゃんを大切に大切に守り通してきてくれた方をご紹介します。
▲NPO法人くびきのお宝のこす会の西山義則会長さん。
▲株式会社サンコーの樋口隆夫会長さん。
西山さんは旧頸城鉄道の百間町駅構内でくびき野レールパークを運営していただいています。
このコッペル以外にも旧頸城鉄道の車両がたくさん保存されていて、いつでも動ける状態で大切に管理されています。
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株式会社サンコーの樋口会長さんは頸城鉄道で高校に通っていらした方。
廃止された後、車両の多くが兵庫県の篤志家の方に引き取られて保存されていましたが、その方がお亡くなりになった後、自社の重機を使って兵庫から新潟にその車両を引き取って運んでこられた方です。
鉄道ファンではないとおっしゃられていますが、地域の資源として何かに使えるのではないか。
そう考えられて当時の頚城村役場の方々とここに運び込んでレールパークにされたとのこと。
皆さん地域に対する熱い思いを感じます。
頸城鉄道(現:頸城バス)も、自社の歴史を物語るこういう車両たちを壊さずに今に残してくれているので、とてもありがたいですね。
1911年生まれのコッペル2号機が、1972年(昭和47年)に国鉄長野工場で整備を受けて埼玉県の西武山口線にやってきた銘板です。
当時この子は既に61歳。
今では108歳になるんですね。
トキ鉄の社長が実は頸城に保存されているコッペルに懐かしい思い出があるなんて、皆さんご存じなかったでしょう。
これも不思議なご縁を感じた1日でした。
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