神童と呼ばれたころ その2

50年近く前の通知表が出てきて、「へえ」と思ったお話を昨日しましたが、記憶というのは不思議なもので、いろいろ関連付けられていたものがポロポロと蘇ってきます。

私は先生の話を「3」ぐらい聞けば「10」理解してしまうガキでした。
そういうガキはたぶん先生としてはやりづらいのでしょうね。
迷惑そうな顔をされるわけです。
そうなると授業がつまらなくなる。
クラスでは浮いてくる。
同じクラスに友達ができない。
こういう感じですね。

学校が引けて、家に帰ってカバンを置いて遊びに出かける。
でも、公園へ行ってもクラスの友達とはなかなかうまく行かないわけです。
クラスの友達は、だいたい学校から帰る前に、「〇〇公園で待ってるぜ。」みたいなことを言って、約束してるからね。
その約束に漏れてしまえば、みんなどこへ行ったかがわかりません。

仕方がないから線路端へ行って電車を見たりするわけです。

私が通っていた板橋第二小学校には当時特殊学級というのがありました。
知的障害や麻痺などの身体的障害を持った子供たちが通うクラスで、板橋区にはたぶんいくつかそういうクラスがあったと思いますが、私の学校にもありました。

同じクラスの友達と仲良くできない私は、休み時間や放課後に、その特殊学級に遊びに行きました。
今で言うパニック障害や発達障害、自閉症というのでしょうか。
そういう子どもたちが数人いるのですが、みんなワイワイガヤガヤやっている。
私は絵を描くのが好きだったので、わら半紙に電車の絵を描いてあげるわけです。

山手線だったり東上線だったり、あるいは新幹線や特急電車。

写真を見なくてもすらすら描けましたから、一生懸命描いてあげる。
そうするととても喜んでくれる。
彼らの喜んでというのは時には奇声を発するのですが、同じ学校でいつも顔を見ている友達なので、喜んでくれているのがわかるのです。

そんな特殊学級に入り浸っていると、特殊学級担当の先生は可愛がってくれるんですが、クラスの友達とはなおさら疎遠になる。
ときどき、その特殊学級の障害を持った子供を他のクラスの子がからかったりいじめたりしているのを見ると、無性に腹が立って守ってあげたくなる。
そうすると、「あいつは変だ」ということになって、ますます仲間から外される。

神童というのはつらいものです。

そのうち、世渡りというのを覚え始めます。

先生に媚を売るわけではありませんが、どうしたら大人とうまくやって行かれるか。
どうしたらクラスの友達とうまくやって行かれるか。

そこで考え出した方法が「速度を落とす」ということ。

つまり、皆のペースに合わせるということ。
自分は速く走る力があるけれど、その力をフルに発揮すると誰もついてこれない。
これが集団の中で自分が浮いている原因ですから、力をセーブして、速度を落として、みんなに合わせるわけです。

小学校5、6年生の担任だった先生から、なんとなくそんなことを求められて、私は全力で走るをのやめて、ペースを落として、速度を落として、学校生活を送りました。

そして、中学生になって、受験勉強を始めようと思った時に、本来は速く走ることができたはずなのに、もう速く走ることができなくなっていることに気がついたのです。
自分が持っていたはずの人よりも速く走るというその能力が消えてしまっていました。

神童が凡人になっていたというわけです。

では、速度を落とした私が余力を費やしたものは何か。
それが時刻表を愛読するということ。
小学校5年から中学3年ぐらいまでの5年間は、勉強なんかそっちのけで、時刻表に熱中していたのであります。

子供の才能を引き出す教育者が、もし私の周りにいてくれたら、私はきっと宇宙飛行士になっていたかもしれません。(笑)
でも、昭和の時代の公立学校なんてものはデモシカ先生とマッカッカな日教組しかいませんでしたから、せっかくの神童がこうして潰されていったということなのであります。

ただ、今振り返ってみると、50年が経過した今でも電車とか時刻表とか言ってるわけですから、そういうものに出会えたことは本当に良かったなあと思うのであります。

その後、外資系の会社に働いた時に役立ったのが特殊学級の友達と仲良く遊んだこと。
今でこそ日本も多様性の時代とか言われるようになりましたが、外資系の会社では30年も前から当たり前のように障害のある人たちを仲間に入れてきました。
そういういろいろな人たちと一緒にチームを組むことに何の違和感も覚えない人間になりましたから。

いすみ鉄道にもいろいろな事情をお持ちの方が乗りにいらっしゃいましたが、皆さんに楽しんでいただけたのではないかと思います。

宇宙飛行士にはならなくてよかったのかもしれません。

と、まあ、こんなことを思い出したのでありました。

結構悩んで苦労した少年時代だったのであります。

今、悩んでいる皆さん。
大丈夫ですよ。
人生は生きる価値がありますから。

私の生き方を見たら、きっとわかっていただけると思います。

どんどん悩んで、それでも好きなことをやり続けてください。

(おわり)