神童と呼ばれたころ


▲昭和43年 下総中山

両国駅から房総へ向かう列車が蒸気機関車に引かれていた頃。
今からちょうど50年ぐらい前、私は東京板橋の小学生で「神童」と呼ばれていました。(笑)

新潟へ赴任するためにいろいろ家の中を整理していると、ひょんなものが出てくるもので、「へ~」と思ったのがコレ。

昭和45年の通信簿です。

なつかしいなあ。

中を開いてみると・・・

「神童」の通信簿です。(爆)

音楽と体育はダメね。

でも体育も何とか頑張って、3学期の終わりには4になりました。
音楽も4.
その他は全部5です。

どうだすごいだろ!

でもね、神童というのはなかなか苦労するもので、反対のページの「行動及び性格の記録」はダメダメですね。

「正、不正の判断ができ、誰にも公平である。」が最後までB。
「公共のものを大切にし、決まりを理解して守る。」も最後までB。

自分の記憶では小学校6年間を通じて、先生とはうまく行かなかったようで、まあ、大人からは嫌われていました。
集団になじむこともできず、クラスに友達もいなかったなあ。

それでもちゃんと学校には行っていて、一応1年間皆勤です。

そのころから図工が好きでね。
絵を描かせたらうまかったんですよ。

昭和43年ですから小学校2年生でしたが、板橋区で1等賞ですから。
この時描いたのは木造校舎の絵。
校長室にずっと貼ってありました。

このころ、毎日のように両国駅から汽車が出ていたんだなあ。
板橋駅へ行くと機関車が煙を吐いて入換をしていた記憶がよみがえります。

4年生の通信簿を書いてくれた先生は永井政直先生と言って、私に時刻表の読み方を教えてくれた先生。
帰ってから本屋さんへ行って100円の小型時刻表を買ってむさぼるように読み始めました。

永井先生のおかげで今の私があるようなものです。

先生とはうまく行っていませんでしたが、永井先生にはとても感謝しております。

まあ、「神童」というのはそういうものでしょうね。

ハタチすぎればただの人。

40すぎたらただのオッサン。

今ではただの酔っぱらいでございます。