本日は煙分補給。
SLやまぐち号に乗りました。
今日は運転日ではありませんので時刻表には掲載されていませんが、山口県の鉄道ファンの皆様方の団体貸切列車として5両編成が満席になりました。
私も春にお声をおかけいただいていて、参加させていただきました。
「もういくつ寝ると汽車ポッポ」
とても楽しみで、待ちきれずに先週真岡鉄道に出かけたのでありますが、実は山口線にSLが復活してからこの8月で40周年になるのです。
本日の機関車はD51。
この200号機は昭和13年製で昭和47年まで長野県の木曽福島にいました。
今修繕に入っているC571は昭和12年製で、同じく昭和47年まで新潟で活躍した後、どちらも鉄道百年を記念して京都に開館した梅小路蒸気機関車館に入りました。
ということは、D51200は34年間。C571は35年間現役で活躍したのですが、やまぐち号40周年ということは、現役時代よりも長い年月ということになります。
すごいなあ。
定年退職してからの人生の方が長いとは、まるで高齢化時代を見越していたかのような、時代の最先端を行っているのがやまぐち号なんですね。
始発駅の新山口駅。
構内に煙がたなびくのは良いですねえ。
私がいつもやまぐち号に乗るたびに思うのは、ここの機関車ってガチなんです。
観光客を乗せてのんびり走ります。
なんて生易しいものじゃない。
千分の25の連続上り勾配を目いっぱいの力で登っていく。
いわゆるショウ的ではなくて、マジでガチなんです。
だから、速度は遅くなるし、機関車の息吹は感じるし、蒸機列車特有の前後動も激しい。
トンネルの中で煙は車内に入って来るし、列車は止まりそうになるし。
結構ギリギリの綱渡り状態です。
知り合いの運転士さんに聞いたら、去年の水害で山陽本線が不通になった時、山口線を経由する迂回貨物が走りましたが、そのうちの何本かは坂道を登れなかったらしい。
DD51のディーゼル機関車でも登れないような坂道を、引いてるものの重さは違うとはいえ、蒸気機関車が観光列車を引いて走っているのですから、半端じゃないのです。
まあ、これが40年も続く秘訣なのかもしれませんね。
乗ってても撮ってても、そりゃあ楽しいはずです。
さてさて、40周年と言えば当時の私は19歳。
同じ時代に北海道にあこがれて、そのまま北海道に住みついた友人も、
やまぐち号が走り始めて、山口の学校へ行って山口で仕事している友人も、
皆さん60の声を聴くお爺さんですね。
私なんか煮え切らなかったもんだから、北海道に住むことも山口県に住むこともできませんでしたが、それでも、今、こうして汽車ポッポに乗っていられるのですから、まあ、幸せな人生ということなのでしょう。
山陰本線の撮影の後、急行「しんじ」で小郡駅に着いて機関区まで歩きました。
昭和49年のことです。
当時すでにDL化されていた小郡機関区にC621とナンバープレートを外されたD51が2両並んでいて、そろそろ日が暮れるという時間帯に訪ねて行って、住所と名前を紙に書いて、ヘルメットを渡されて、C621によじ登った記憶がふと蘇ります。
そして、そんなことを考えながら、その駅からの道を、コンビニに買い物に行く今夜の私でございます。
ああ、本当に走馬灯のようなのであります。
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