訃報を受けて

以前の会社の先輩から突然連絡が来ました。

お世話になった方がお亡くなりになられたという連絡です。

一部の人を除き退職してからほとんど誰ともお付き合いしていないのですが、よく覚えていてくれてご連絡をいただいたことに感謝します。

お亡くなりになられたのは矢田金和さんという20歳年上の大先輩。
成田の貨物課に勤務されていましたが、労働組合の委員長でした。
私はその矢田さんの下で、30代の時に組合の幹部執行役員を6年間努めました。
副委員長3年、書記長3年です。

その当時はまだ学生運動をやっていた団塊の世代の皆さんが血気盛んなお年頃で、組合内にも過激な思想が残っていましたが、その年代よりも少し上の矢田さんは委員長として大変ご苦労をされてチームをまとめられていましたし、同じ業界の他社の労組とも親しくされていて、情報交換や横のつながりというネットワークの大切さを教えてくれたのも矢田さんでした。

思えば今の私があるのは矢田さんのおかげであって、仕事だけじゃなくていろいろなことを教えてもらいました。
いろいろなことというのは、チームワークや力を合わせることなどはもちろんですが、世の中にはいろいろなところに落とし穴があるとか、こういう人には気をつけろとか、そんなことを、上から目線ではなくて、淡々と語る姿に、若造としては素直に心に響いたのであります。

個人事業主や個人で起業される人も多い昨今ですが、ある程度大きな会社に勤めることができた収穫として、労組の活動を通じて矢田さんに出会えたことは幸運だったと思いますし、その後、鉄道会社を仕切ることになるとは思ってもいませんでしたが、国内航空会社はもちろん、アメリカ系、ヨーロッパ系、アジア系の各航空会社の労組の幹部の皆様とお付き合いできたことは、近視眼的になることなく、物事を俯瞰して見ることができるようになる良い経験をさせていただきました。

そんな恩人の訃報を聞いた日に、新幹線の運転士がトイレに行ったことに対して国交大臣のコメントがニュースで伝わってきました。

「新幹線の運転席に簡易トイレを」「JR北海道のインシデントは減少」…赤羽国交相会見

この件については、5月21日に金子慎JR東海社長が国土交通省に赴き陳謝したが、赤羽大臣は「一番大事なことは、指令に指示を仰がなかったというルール違反があり、また、3分間であったとしても運転資格のない者に運転を委ねたことは、重大な規律違反だと思っています」の述べ、社内規定違反を遺憾とした。

その上で、今回のトラブルを新幹線の安全神話に陥ることなく検証し、単に運転士個人の問題ではなく、会社として再発防止に取り組むことを指示したという。

具体的には「そもそも体調の優れない者は乗務させないなど運行管理を徹底する」「非常事態に備え簡易トイレを運転席に携行できるようにすること」「発作的な体調不良等が発生した場合などは、躊躇なく列車を止めること」を挙げたほか、「運転士のほかに、運転の免許を有する車掌を配置した列車を増やすローテーションが可能かどうか」という点も提起したと述べ、JR他社へも危機管理についての対処を指示する意向を示した。

ニュースにはこう書かれていますが、なんだか情けないですね。
天下のJRセントラルが大臣からこんなことを言われるなんて。

本当ならこのような安全性に係ることや労働環境の改善というのは、常日頃から会社と労組がきっちりと話し合いをしていく中で出来上がっていくものだと思います。

それが、労組の経験がない経営陣は組合を毛嫌いしますし、労働者側は自分たちの代表を出して意見をまとめるという基本的な活動ができなくなってきている。

労働組合の幹部というのは、もちろん大きな組織では専従というのもありますが、基本的には手弁当で、職場の仲間のために自分の時間を使って活動するものですから、どちらかというと損な役割なんです。
食えない時代ならともかく、地位が上がって、賃金が良くなって、生活が十分満たされるようになると、仲間のために自分の時間を使うことが莫迦らしくなってくる。
これが平成の30年間で労組の力が落ちて来た遠因だと私は考えていますが、賃金が上がって、福利厚生が豊かになって、生活が満たされるということは、自動的に継続していくことではなくて、頑張って維持して守っていかなければならないことなのです。
なぜなら私たちは皆、プロレタリアートだからです。

別に組合活動を奨励するつもりはありませんが、今回のコロナで、今まで築き上げてきたものが一瞬にして消え去る危険性があることははっきりしたでしょう。
なぜなら、会社から給料がもらえなくなれば、生活に支障をきたすからです。
どんなに高い給料をもらっていたとしても、給料が途絶えたら生活の質を落とさなければならない、あるいは生活できなくなる人たちはプロレタリアートなのです。

なのに、大臣から「しっかりしなさい。」と言われてみたり、総理大臣や財務大臣から「賃金を上げてほしい。」と言われたり、この国の労働者は基本的なところをすっかり忘れてしまっているように思います。

繰り返しますが、別に労働組合をやれと言っているのではありませんよ。
ただ、世の中の基本的な仕組みと、それを維持していくための各種条件を守っていくことは他力本願ではできません。そして、私たちほとんどすべての日本人は、給料をもらえなくなったら生活の質を落とさなければなりません。
そういう人のことをプロレタリアというのだということを、もう一度考えなければならないと思います。

一流企業に勤めて都心のタワマンに住んでいたりすると自分は中流階級だと思っている人もいるかもしれませんが、中流階級というのはたとえ毎月の給料が途絶えたとしても生活の質を落とさずに暮らしていかれる人のことなのであります。

矢田さんの訃報を聞いて、そんなことを考えさせられた1日でした。

矢田さん、ありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。

ご冥福をお祈りいたします。