機関車少年

私の友人で入江高亘さんという方がいらっしゃいます。

年齢は私より少し下なのですが、蒸気機関車が大好きで、今、全国を回って、ボランティアで公園などに保存してある蒸気機関車をピカピカに磨いて歩く活動をされていらっしゃいます。

 

入江さんは九州育ち。関東で育った私よりも年は下ですが、子供のころ、身近なところで当たり前のように蒸気機関車が走っていたという点では、実に恵まれたうらやましい幼少時代を送られていらしたようです。

何しろ、東京都内から蒸気機関車が消えたのは昭和44年で、私は小学校3年生でしたが、九州から蒸気機関車が消えたのは昭和49年から50年ですから、私よりも入江さんの方が、小学校高学年まで煙の匂いをかぐことができたという点で、うらやましい経験をされていらっしゃるわけです。

 

その入江さんが、こんな写真を見せてくれました。

小学校4年生のころ、入江さんご自身が撮影された写真だそうです。

 

 

 

【入江さんの思い出】

 

小学校(3年から)4年の頃、土日は豊肥線の駅で、ずっと蒸気機関車牽引の貨物列車が来るのを待ってました。
乗務員にも顔を覚えて貰える様になって『又、坊主が来ている』と、『熊本迄乗って行くか?』と声を掛け戴きました。

 

この頃、可愛がって戴いた機関士さんとは、今年も年賀状の挨拶をしています。
成人になって、お会いした時は、
『入江君の葉書きは、今も大切に保管しているョ』と言われました。

 

幼少の頃、将来の夢は?との問いに、機関車の運転手になりたいと思う子は、必ず居たと思います。
決して報酬はよくないにしても、憧れの職業でした。

多様化する社会の中で、憧れの職業に鉄道が選ばれるのは、鉄道にとっても、そこで働く人にとっても、良いですね。

 

の頃の乗務員さんは、とても温かくて、そのご厚情は一生忘れません。
今、蒸気機関車保存維持のお手伝いは、この時の恩返しと思っています。

 

こういう体験を声掛けして戴いた国鉄マンへの感謝の思いを忘れずに、今度は我々が、子供達の夢を育む番ですね。

 

 

機関区へ写真を撮りに行っても、煙がモクモクと出る機会は余りありません。
のんびりとしたある日の事、職員さんが蒸気を出してあげると、排水弁を開けてサービスして貰いました。

 

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撮影は1973年、昭和48年、熊本機関区。入江さんが小学校4年生の時だそうです。

 

私もいろいろな経験があります。蒸気機関車の運転席に乗せてもらったこともありますし、特急の運転席に乗せてもらったこともあります。当時の国鉄の人たちって、皆さん小さな子供に対しては優しくて温かく接してくれましたね。

まあ、時代が時代でしたから、規則も緩かったということはもちろんですが、こういう優しくしてもらった思い出があるから、機関車少年たちは鉄道会社を憧れにしていて、大人になっても、忘れられないのではないかと思います。

 

今、鉄道会社で働いている人たちは、「ほかに仕事がないから仕方なくて鉄道会社で働いている。」という人はほとんどいないと思います。

やっぱり、鉄道で働くことが憧れで、輸送の現場に立っている人がほとんどではないでしょうか。

子供のころから、夢を持ち続け、一生懸命勉強をして鉄道会社に入って、今、毎日一生懸命働いている。

そういうことができたのは、皆さんが子どもの頃、「かっこいいなあ。」「僕も大きくなったら鉄道の運転士さんになりたい。」と思わせてくれた大人の人がいたはずなんです。

キビキビと仕事をする姿を子供たちが見て、「いいなあ。」「素敵だな。」と思ったということは、そう思わせてくれた大人たちがいて、大きなモチベーションを与えてくれたということなのです。

 

だったら、今、あこがれの職業に就くことができた人たちは、次の世代の子供たちにモチベーションを与えて、憧れを育てて、次の世代につないでいく必要があるのではないでしょうか。

 

別に、運転席に乗せてあげろと言っているわけではありません。

線路の脇で手を振っている子供がいたら、汽笛を鳴らして手を振りかえしてあげるだけで、大きなモチベーションになると思います。

 

私も、田んぼの中で向こうから走ってくる蒸気機関車に手を振ったら、汽笛をポーッと鳴らしてくれて、機関士さんが白い手袋の手を振ってくれた時の感動があるから、今でも、鉄道に貢献して、何とか鉄道を元気にしようと思っていますし、いすみ鉄道の運転士たちも、汽笛を鳴らしたり、駅で子供に帽子をかぶせてあげて記念写真を撮ったり、幼稚園の横を通るときは手を振っている子供たちに手を振って応えたりと、皆さんそういうことをやっています。

なぜなら、彼らは訓練費用を自己負担してまで運転士になりたかった人たちで、今、その夢をかなえたのですから、今度は次の世代の子供たちにモチベーションを与えることの大切さを誰よりも理解しているからだと思います。

 

そういう点で、いすみ鉄道は素晴らしい鉄道になったと思います。

厳しい規則はいろいろありますが、「できない理由を並べることはしない。どうしたらできるかを考えるのがプロだ。」という私の考え方を、みんなきちんと理解して実践しているプロ集団だからです。

 

もっとも、JRや大手の会社さんは、そういうことはやらなくてもよいと思います。

大手だから、ローカル線とは違うと思いますし、お得意のできない理由を並べて、余計なことをする必要はないという「守り」のポリシーを貫いてくれれば、私はそれでよいと思います。

なぜなら、JRや大手の会社がそういうことをやり始めたら、いすみ鉄道のようなローカル線が勝負するところがなくなってしまいますからね。

 

休みの日に、わざわざ遠くのローカル線に乗りに来てくれたことに対する、私たち職員ができる感謝の気持ちが、「素敵な思い出を持って帰ってもらう。」ということなのです。

 

全国のローカル線の職員の皆様、これからも地道にがんばりましょう。

 

入江さん、良いお話をお聞かせくださいましてありがとうございました。

 

保存の機関車をピカピカに磨く活動をされている入江さんの仲間の皆さんです。

かつての機関車少年たちが、今、実に尊い活動をされていらっしゃると思います。

 

それは、この方々が子どもだったころ、職業を通じて大きなモチベーションを与えてくれた大人たちがいたということなんですね。

 

皆さん、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

そして、もっともっと鉄道をおもしろくしていきましょう。

 

それが、かつての機関車少年たちの責任だと私は考えています。