さよならだけが人生だ

「さよならだけが人生だ。」と言っても初音ミクではありません。

井伏鱒二ですよ。

 

まあ、そんなことはどうでも良くて、今日もまた、さよならがありました。

 

 

 

菜の花と桜が満開のいすみ鉄道から、3人のスタッフが去っていきました。

 

左から指令員の田中さん、工務課の荒井課長、工務課で保線を担当する青柳さんの3名が本日でいすみ鉄道を退職されました。

 

3人とも71~2歳。

鉄道のベテランです。

 

田中さんはもともと運転士で、新小岩の機関区で蒸気機関車の機関助士からスタートされた方。

私が蒸気機関車が好きだと話をすると、

「社長知ってるかな。新小岩にはナメクジが2両いてね、そのうちの1両は蒸気上りが悪くて手を焼いたんですよ。」

夜遅くまで私が残っているときなど、そんな話をしてくれました。

「ハチロクは結構缶たくのが大変で、背が小さい奴だと届かないんだよね。」

なんて話に私は目を輝かせたものです。

 

荒井さんと青柳さんは線路一筋、保線一筋の方。

3名とも昭和38~39年ごろに国鉄に入られて、50年以上に渡って鉄道人生を送られてきました。

考えてみれば、房総の鉄道の複線化とか電化とか、今の外房線や内房線があるのは彼らの貢献と言っても過言ではありません。

田中さんは蒸気機関車の缶焚きから電車や気動車のハンドルを握って、茶色い旧型国電や101系電車などの時代から輸送を担ってきた方です。

いすみ鉄道にはこのような人財がたくさん働いていて、長年に渡って輸送を支えてくれていたのです。

 

私は社長として、彼らがいてくれたことに心から感謝しています。

 

荒井さんがおっしゃってました。

「自分の年齢を考えると、体が動いて自由に活動できるのはあと10年ないだろうから、これからは好きなことをやります。」

 

実にうらやましい言葉です。

50年以上にもわたって、鉄道という一つのことに打ち込んでこられた方の言葉ですから。

 

皆様、どうぞお元気でこれからもご活躍下さい。

 

ありがとうございました。

 

さあ、今夜は一人で彼らに乾杯することにしましょう。