正月早々、星野監督の訃報に驚きました。
たいへんショックを受けました。
ニュースを見ながら、「え~っ!」という声を出してしまうほどでした。
もちろん、個人的な知り合いではありません。
同じ学校でも年が一回り以上離れていますから直接的な交流はありません。
でも、とってもお世話になった方なのです。
私は野球にはそれほど興味はありませんが、「巨人の星」の世代ですから当然ON全盛時代はリアルタイムで経験しています。星野、田淵、山本浩二の3人がアンチ巨人で大活躍していたことも知っています。山本浩二と言っても「堀北のダンナ」ではありませんよ。元祖赤ヘル軍団の山本浩二です。
まあ、でも、そんなのは小学生、中学生時代の話ですから、それから40年以上も経過しているのでありまして、記憶もぼんやりしているのですが、そんな私のところに生まれてきてくれた5人目の子供が、物心ついたころからなぜか野球に興味を持ちだしまして、誰が教えたわけでもないのに、野球、野球と言い始めました。40を前に生まれてきてくれた彼は、私にとっても最後の子供ですから、上のお兄ちゃんたちとは親として接することができる時間が絶対的に少ないわけで、だったら長さではなくて密度を濃くしてあげようと考えていたところだったので、「そんなに野球が好きなら。」ということで、「じゃあ、キャンプでも見に行くか?」と聞いたところ、本人は二つ返事で「うん、行きたい。」
あまり、自分の意志を親に言う子ではなかったのですが、自分で「行きたい!」と言うものですから、勝手知ったる南の島へ連れて行ったのです。
何しろ私はずっと以前から年に数回、南の島へ用もないのに出かける人間でしたから、プロ野球がキャンプへ行く場所は、自分の庭のような感覚だったのです。
思い起こせば震災の直前の2月。本人は小学校5年生でした。
そうしたら、そこに星野監督がいたのです。
報道陣のインタビューを受ける星野監督。
この後、我が息子にやさしく声をかけて、「がんばれよ。」と頭を撫でてくれました。
あこがれの島選手からサインをもらっているところ。
もちろんマー君からももらってこの笑顔です。
そして、この後息子は中学生からシニアリーグに入り野球漬けの生活に。
それ以来、家族旅行などできなくなってしまいましたが、本人は真剣に野球を続けました。
去年の夏の県大会です。
3番、ショート、トリヅカ君
打った!
2塁打です。
そしてホームイン。
残念ながら甲子園へ行くことができませんでしたが、彼なりにがんばって、いろいろ努力して、新しい道を見つけたようです。
同い年の清宮君はプロへ行きますが、彼は春からは自分の意志で大学野球へ進みます。
これが、星野監督が我が息子に与えてくれた「モチベーション」というきっかけです。
先日の「ひので」「きぼう」の時にも書きましたが、夢をかなえてあこがれの職業に就くことができた大人は、その恩を、モチベーションという形で次の世代につなげていくことをやらなければなりません。
電車やバスの運転士、飛行機のパイロット、宇宙飛行士、お医者さん、学校の先生、幼稚園の先生、コックさん、おまわりさん、消防士などなど、小さな子供たちが憧れるような職業に就くことができた人たちは、その職業を通じて、何らかの形で次の世代の子供たちにモチベーションを与える活動をしなければ、自分が「幸運」に恵まれたことの意味が、自分で終わってしまうのです。
星野監督は、うちの息子だけではなく、たくさんの子供たちに夢を与えてくれました。
星野監督が作り上げたチームの選手たちも、皆さん同様に、子供たちに夢を与える活動をしています。
そういうことを、幸運にも夢をかなえることができた大人たちがちゃんとやって行けば、運も夢も、次の世代に続いていくのです。
自分が得ることができた幸運は、自分だけのものではありませんから、自分で終わらせてはいけないのです。
もちろん、きちんと仕事をすること。野球選手なら立派に活躍すること。これが最大の恩返しです。
そして、それができるようになったら、今度は、しっかりと次の世代に夢を与える活動をしましょう。
星野監督も私も同じ考えです。
いや、私の考えは、我が息子を通して、大先輩である星野監督に教えていただいたものかもしれません。
星野監督、ありがとうございました。
あとは私たち後輩がしっかりとやって行きます。
どうぞ、安らかに。
ご冥福をお祈りいたします。
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