1月2日 国吉駅&出雲大社

今日は国吉駅で応援団の皆様方による餅つき大会が行われました。

たくさんのお客様にお越しいただきました。

 

 

 

 

大多喜高校の初代いすみ鉄道対策委員会委員長の松本さん(左端)もいらしていただきました。

昭和63年にいすみ鉄道が開業したときに大多喜高校に入学されて、いすみ鉄道対策委員会の委員長になった松本さん。

この3月でいすみ鉄道は30周年を迎えますが、ということは松本さんも今年46歳です。

30年ってすごいことですね。

 

 

ちなみにこちらが以前にもご紹介しました松本さんが大多喜高校に入学したときに最初に購入された通学定期券です。

お宝です。

 

 

お昼前に出雲大社へ顔を出しました。

今年は入口横にこんな駐車場が整備されていました。

 

 

 

ひっきりなしに参拝客が訪れていました。

 

 

 

こちらは元日の午前0時過ぎの出雲大社の様子です。

お参りのお客様で長蛇の列でした。

なんだかすごいことになってきましたね。

 

 

上総中野の渡辺新悟さんが撮影した元日のキハ。

大多喜ー城見が丘間の鉄橋にこんなにたくさんの人がカメラを構えてスタンバイしていました。

多分地元の人は誰も知らない光景でしょう。

 

地元の人と言えば、今日は久しぶりに地元出身の男の子が顔を出しました。

東京の大学に通う彼は以前からいすみ鉄道の応援団でお手伝いしてくれていたので久しぶりに顔を見ました。

「今、何年生?」って聞いたら、「4年ですよ。」

早いなあ。この間まで高校生だったのに。

そうしたら彼がこう言いました。

「社長、すごいですよ。大学の友達が結構いすみ鉄道知っている人がいるんです。」

「そりゃそうだろうよ。」と私。

彼が続けます。

「社長のことも知ってる人いるんですよ。マニアでもないのに。」

「いすみ鉄道は今やそういうところなんだよ。外に出るとわかるだろう。」

彼は、

「俺、なんだか自分の出身地が自慢なんです。国吉がこんなに有名になるなんて嬉しいです。」

 

うん、うん。相変わらず素直で良い子だ。

 

地元の人はなかなかわからないけど、つまりは、そういうことなのです。

 

 

午後のキハはこんなヘッドマークで走行。

「羽根つき台座のみ」

これ、昭和の時代に、急行の間合い運用で普通列車に使用されたときの再現だそうで、お正月のヘッドマーク祭りということで、乗務員がこんな姿で走らせました。

 

 

その午後のキハが発車すると、いすみ鉄道応援団の皆さんがイルミネーションを撤収。

実は近々国吉駅でドラマの撮影がありますので、そのために今年は早めに撤収いたしました。

ドラマの名前と撮影日はお知らせできませんのでご了承ください。

まあ、当たり前ですが。

 

 

さて、そうこうしているうちに最終のキハが到着いたしました。

ヘッドマークは「内房」。

昭和30年代後半に見られた準急「内房」です。

この時代の「内房」は「ないぼう」、「外房」は「がいぼう」と呼ばれていました。

私が子供の頃、勝浦のおばあちゃんも「ないぼう」「がいぼう」と呼んでいたのを記憶していますが、当時の人たちは「うちぼう」「そとぼう」なんて言わなかったんです。

それを、「うちぼう」「そとぼう」と呼ばせようとしたのでしょう。国鉄はヘッドマークを漢字からひらがなに変えました。

 

 

それがこのキロカレーの表紙に出ている「そと房」です。

これなら「がいぼう」とは呼びません。

そして昭和47年の電化完成とともに房総西線を内房(うちぼう)線、房総東線を外房(そとぼう)線と改名して、内房(うちぼう)、外房(そとぼう)という呼び名を定着させたのです。

電化後しばらくして復活した急行列車は漢字表記の「内房」「外房」でしたが、皆さん当然のように「うちぼう」「そとぼう」と呼んでくれるようになっていました。

今、「がいぼう」の名残と言えば、御宿のタクシー会社さんぐらいでしょうか。

「外房タクシー」と書かれていますが、電話をすると、「はい、がいぼうです。」と出られますから。

 

つまり、いすみ鉄道のヘッドマークはすべてこのようなストーリーがあるのであります。

 

 

さて、その「内房」で国吉駅に降り立たれたのはこちらのお客様。

秋田の由利高原鉄道の春田社長さんです。

遠路はるばる訪ねて来てくれました。

 

 

 

そしてカケス団長の松屋旅館で応援団の皆様方の新年会。

春田社長さんの音頭で乾杯!

 

あっという間に正月2日目が終了しました。

 

皆様今年もよろしくお願いいたします。