煙にまかれて、煙まみれ。

子供の頃、蒸気機関車の列車に乗ると、窓から煙が入ってくるのが面白くて、トンネルの中で窓を開けていたら、近くの乗客のおじさんに怒られました。

そりゃそうですよね。

だから、デッキへ行って、デッキの扉を開けて、身を乗り出しながら煙を浴びる。

 

夜、宿屋へ着いて風呂場でお湯を張った桶の中に頭を浸けてゴシゴシやると、桶の中のお湯にふわーっと黒い粉がたくさん浮いてくるのが楽しくてね。

「本日の収穫!」などと言ってました。

いきなり頭を洗っては、せっかくの収穫が流されてしまうのです。

素っ裸で、ケツ突き上げて、頭を桶の中に入れている中学生は、傍から見たら滑稽そのものだったでしょう。

でも、それが蒸気機関車の列車で旅をするときの、私なりの醍醐味でした。

 

当時の大人たちは、皆、汽車の煙を煙たがっていましたが、私は良い匂いだと思っていて、それを体験することがイベントだったのです。

 

ということで、昨日は実際に乗車して煙を体験したのですが、本日は日本の原風景の中を走る蒸気機関車の姿を楽しみました。

 

今日は風が強かったので、煙が横に流れてしまいます。

こういう日は風上側で撮るか、風下側で撮るか。人によって判断が分かれるところでしょう。

私の場合はもちろん風下側。

だんだん近づいてきて、

大きな汽笛を鳴らしながら目の前を通り過ぎて行きました。

もちろん煙をたくさん浴びました。

展望席で手を振る女性は、知ってる人でした。(笑)

同じく子供の頃の話ですが、蒸気機関車の写真を写しているお兄さんから言われました。

「鳥塚、ファインダーの中だけで汽車を見ていちゃだめだぞ。ちゃんと自分の目で見るんだ。」と。

それからの私は、必ず汽車が見えなくなるまで、後姿を見つめることにしています。

写真を撮る人たちは、最近ではデジタルですから、狙ったポイントでシャッターを切ると、すぐに画面上で再生して確認している人を良く見かけます。

それだと、目の前を通り過ぎて行くときの動輪の動きや煙の吐き方を見ることはできませんね。

私の場合は写真を撮ることが目的ではなくて、汽車を見ることが目的なので、向こうの山影に汽車の姿が消えるまで見送りました。

 

この時すでに撮り鉄さんたちは撤収の準備をしていましたが、私は最後まで見送るのです。

 

蒸気機関車というのは、力行するパワーを得るために火力が必要です。

駅に到着するときは、パワーが要りませんので、こんな感じで煙を吐きません。

こうして停車中に石炭をくべて、黙々煙を吐き始めます。

火力を上げて加速に必要な蒸気を貯めるのです。

まだ発車前なのに、なんだかすごいことになって来たぞ。

いよいよ発車時刻になると、辺り一面煙だらけです。

そして発車。

「汽車は出てゆく、煙は残る。」

 

考えてみれば、昭和の時代には一つの列車が発車する度にこんな感じで煙まみれになっていたんですね。

昭和50年じゃなくて、あと10年蒸気機関車が生き延びて、昭和60年まで走っていたとしたら、たぶん環境問題に引っかかって、これほどまでに文化遺産として美化されることもなかったでしょう。

当時はあと数年残っていてくれたら、もっと汽車旅ができたのに、などと考えていましたが、ちょうど良い潮時だったのかもしれませんね。

 

ということで、2日間の私の煙を浴びる旅は終了いたしました。

 

40数年前と何ら変わらぬ山口県の風景は、本当に素晴らしかったと思います。

 

楽しい旅をありがとうございました。

 

動画は私のFacebookページで公開しております。

ぜひご覧くださいませ。

 

さて、風呂に入るとするか。

楽しみだなあ。

 

何が? って、

決まってるじゃないですか。

 

煤じゃなくて、その後のビールですよ。

いくらなんでも、中学生じゃないのですからね。