ちょうど一週間前の先週の日曜日に、只見線応援ミーティングが開催されました。
場所は新潟県の魚沼市越後須原。
ご存知の通り只見線は6年前の水害で分断されたままになっていますが、福島県の方で何とか開通させようと努力していることに対し、新潟県側でも応援して行こうということで、市民と行政が何とか只見線を全通させて、今後の地域活性化に使って行こうという会合でした。
只見線というとどうしても福島県を思い浮かべる人も多いと思いますが、新潟県側(小出方)も以前から熱心で、せっかくあるものを有効に使って行きましょうと考えていらっしゃることは、私はずいぶん画期的だなあと思いました。
何しろ魚沼といえばお米やお酒の産地で、すでに全国区になっているところですからね。
でも、現状ではだめだ。只見線を利活用しようということなのです。
▲こういう形で意見交換会。
▲その後、チームに分かれてワークショップ。
それぞれのテーマで只見線の現状と、目標と、それに向かうための努力方法などっを話し合って発表しました。
▲コーディネーターで仕切っていたのはこの方。
元山形鉄道社長の野村さんです。
現在ローカル線活性化のプロとして、各地で活性化のノウハウを提供するお仕事をされています。
昨日のブログでお話したノウハウを持ったプロフェッショナルです。
▲ミーティングに参加した自称「只見線に日本一多く乗った男」
手に持っているのはログブックです。
過去の只見線乗車記録がびっしり。
通学定期の高校生にはかないませんが、普通旅客としては多分日本一でしょうね。
▲福島組は会議が終わったら只見線でお帰りです。
この日ばかりは満席でした。
ところで、只見線の小出方といえば、私は思い出すのが「寅さんシリーズ」。
第7作の冒頭で越後広瀬駅が登場するんです。
だから、今回お邪魔した時に、越後広瀬駅を訪ねて映画のシーンと同じアングルで撮影してみました。
▲越後広瀬駅。
昭和46年に撮影された映画では待合室が登場します。
▲集団就職で東京へ旅立つ若者に寅さんが話しかけるシーンです。
▲その同じ待合室。改装されてはいますが、面影がありますね。
▲元気で頑張りなさいよ、と見送る寅さん。
▲やがて若者たちを乗せた列車が発車していきます。
昭和46年の段階では蒸気機関車(C11)が引く旧型客車だったことがわかります。
そこで寅さんは気づきました。
「あれ? いけねえ、俺、あの汽車に乗るんだった!」
▲「お~い、待ってくれ!」と汽車を追いかけますが、時すでに遅し。
置いて行かれてしまいました。
▲という同じ場所です。
45年が経過した同じ場所。当時は貨物の取り扱いなどがありましたので線路も分岐して、小屋も建っていたことがわかります。
今回、只見線へ行くにあたって、DVDをもう一度見直して、同じアングルで写真を撮ってみました。
私はこういう形で昔の撮影地をいろいろ訪ねるのですが、こういうことをきちんと広報すれば、この田舎の無人駅だって観光地になると思いませんか。
これが、「ここにはお金が落ちています。」ということなのです。
只見線沿線の皆さん、もう少しのところまで来ていますね。
ぜひ頑張って、新しい鉄道の使い方をしていただきたいと思います。
今回は参加させていただきましてありがとうございました。
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