笹子トンネル事故で思うこと

荒井由美が歌う「中央フリーウェイ」が大ヒットして、高速道路といえば中央道だと、東京の少年少女たちは思っていた。
第3京浜よりも、横浜新道よりも、中央道の方がカッコよい響きがあった。
もちろん東名など足元にも及ばない。
なぜなら中央道の先には清里があったから。
清里は若者たちのあこがれの場所だった。
笹子峠を越える長い長い笹子トンネルは中央道建設の一番の難所だった。
その笹子トンネルが開通して中央道が延伸すると、清里はさらに身近になった。
東京からバイクを飛ばせば日帰りも可能になった。
数年前までは夜行列車でC56の写真を撮りに行っていた清里が、日帰り圏内になったのだから、当然、行かねばならない。
C56が走っていたころにはなかったオートバイという武器が僕にはあった。
バイク少年だった僕は、ホンダのXL250というオフロードバイクに乗っていた。
「清里に行こうと思う。」
そう言うと、近所のキヨちゃんが「それじゃあ、XLよりも俺のバイクの方が良いだろう。乗ってけよ。」
そういってバイクを貸してくれた。
ホンダ ホーク3 ヨーロピアン
キヨちゃんのバイクは流れるようなフォルムで、武骨なXLに比べるととても恰好が良かった。
誰に気兼ねすることもない一人旅のツーリング。
中央道を西に進むと、何だかあっと言う間に清里に着いてしまった。
あれほどまで遠く感じた清里がこんなに近いところだったんだと感じた。
駅前もオシャレになっていて、綺麗な洋風の建物が並んでいた。
その中の1件の喫茶店に入り、コーヒーを1杯飲んだらこの旅の目的達成。
「清里へ来る。」ということだけが目的だったから、あとは帰るだけ。
中央道をかっ飛ばすだけの旅。
帰りの笹子トンネルの中でアクセルを全開にすると、400ccのホーク3・ヨーロピアンはスーッと加速して行った。
先日、笹子トンネルで発生した大事故のニュースを見ていて気になったのが、マスコミ各社がこぞって「老朽化」という言葉を使っていること。
開通から35年。
「そんなに経ったんだ。」という驚きの実感。
でも、考えて見ればそうだよなあ。
高校生だった僕が50を過ぎているんだから。
これからの時代、昭和40年代から50年代にかけて矢継ぎ早に作られた高速道路、鉄橋、ビルなどが一斉に耐用年数を迎える。
世間では親の仇のように「公共工事はいけない。」「公共工事はもうやるべきではない。」と言っているけど、それは新しいものを作ることに関してで、今まであるものだって、新しいものを作るのと同じぐらいのボリュームで公共工事が発生するはず。
特に、高度経済成長期からバブルにかけて、当時最新式といわれた手の込んだものをたくさん作ったから、維持だって大変だろうなあと思う。
いすみ鉄道のように戦前に作られたものは構造も比較的簡単で、小さな修繕を積み重ねることで維持できるけど、自動車や機械もそうだけど、最近の手の込んだモノはブラックボックス的になっていて、「全取り替え」が必要だから、とても大きなことになりそうだと思う。
ヨーロッパの会社に長くいるといろいろなことを経験する。
その一つがヨーロッパ人はドンドン新しいものを作るようなことはしない、ということ。
建物などは古いものを修繕してずっと大切に使っている。
地震が少ないということもあるかもしれないけれど、新しいものを作ったとしても、いずれ修繕が必要になる時期が来ることを長い歴史から経験的に知っているのだろう。
だから、修繕できるものは繰り返し修繕して使っていく。
世間の議論をみていても、日本人はまだその精神的レベルに達していないような気がする。
今使っているものを使いながら修繕していくことは、新しくつくるより難しいはずなのに、ヨーロッパ人はそうやって生きている。
見習わなければならないと思う。
そして、僕自身もそろそろ修繕の時期に来ているということを知らなければならない。
ああ、リフレッシュしなければ。