御殿場線に乗りました。

昨日は静岡県沼津法人会小山支部にお招きいただきまして、駿東郡小山町というところへ出かけてきました。
場所は御殿場線の駿河小山という駅です。
富士山がすぐ近くに見える山間のとても良いところで、足柄山の金太郎さんのふるさと。近くには富士スピードウエイやアウトレットモールがあり、東名高速道路が走っていますので、自然豊かな地域の割には経済的にも恵まれていて、東京へもすぐに行かれるとても便利なところです。
そして何よりも驚いたのは、この町の特産品と言えるのは、天然の湧水で、皆さんがよく知っている「いろはす」というボトルウォーターは実は小山町で採取されているんです。
水というのは体に対する波長があって、私も「いろはす」をいつも飲んでいますが、駿河小山の駅に降り立ってみると、なんだか懐かしいというか、初めて来たのに故郷の雰囲気を感じたのは、いつも飲んでいる水が体に染みついているのかもしれません。
皆さんも「いろはす」のボトルを見てみてください。
採取地に小山町とちゃんと書いてあるのがわかります。
沼津法人会小山支部の皆様、ご縁をいただきましてありがとうございました。


[:up:] 御殿場線の車窓から見た富士山。これだけの素材があるのですから、御殿場線は観光鉄道にふさわしい路線ですね。世界遺産の富士山ですから、いろいろな使い方ができると思います。
[:down:] 午後、駿河小山の町から見た富士山には笠雲のようなレンズ雲がかかり始めました。地元の人はこの富士山を見て、「ああ、明日は雨だね。」と口々におっしゃいます。
皆さんにとって、毎日見ている富士山は天気の判断材料なんですね。

さて、今回、駿河小山へ行くために、久しぶりに御殿場線に乗車しました。
どのぐらい久しぶりかというと、前回乗ったのは昭和50年(1975年)ですから実に39年ぶり。
だから本当に久しぶりです。
中学生の時、生徒手帳にどこからどこまで何の電車に乗ったか全部記録してあったんですが、そんなものはとっくの昔にどこかへ行ってしまいましたので、記憶もおぼろ。
今回、御殿場線に乗るのに先立ち、古いネガからその時の写真を探してみましたが、確か、当時まだ東海道線の東京口に1日1本か2本だけ残っていた80系湘南電車の静岡行に乗って沼津まで来て、御殿場線に乗り換えた記憶があります。
もちろん御殿場線は72・73系旧型国電で、思いっきり釣りかけモーターを唸らせながら走っていました。
駿河小山へ行くのは国府津口から入る方が近いのですが、今回は新幹線で三島へ行き、沼津から乗車しました。


[:up:] 沼津駅の長い跨線橋の昔と今。39年前はDE10が停まっていました。


[:up:] 39年前は旧型国電がひしめいていた沼津駅構内は、今ではがらんとしてさみしい限りです。
ビルがたくさん立ち並ぶようになりましたが、富士山だけは今も昔も変わりません。


[:up:] 跨線橋の上から見た写真。
中学生の時には「数年前までDE10の代わりにD52がいたんだなあ。さみしくなったなあ」と思いながらシャッターを切った記憶がありますが、今は本当にさみしくなりましたね。
世の中が発展するって言われていながら、実は地方都市はみんなさみしくなってしまっているのが実際のところ。
私のように長年にわたって駅構内や電車を見ているとそれがよくわかります。
こういう流れは、どうやったら断ち切れるのか。
おそらく、ローカル線と同じような問題が隠されているのではないでしょうか。

帰りは駿河小山から国府津へ。
国府津駅のホームから、昔はこのあたりに蜜柑山をバックに機関区があって、扇形の機関庫が残っていて、御殿場線電化後もD52が1両保管されていたんですが、扇形機関庫だけじゃなくて、機関区の跡地自体もなくなっていました。
盛り土をして整地したのだと思いますが、国鉄の跡地が当時の面影をとどめないのは佐倉も新小岩も同じですね。
ただ荒れ地になっているところが多い中で、有効利用されているのはありがたいことですが、面影がなくなるのはさみしいし、なんとなくさみしいのはオヤジの感傷でしょうか。
駿河小山から自宅までおよそ4時間。
往復で8時間の長い長い鉄道の旅でした。