DMH17の子守唄

先月、伝統の寝台特急「あけぼの」の運転が終了しました。
国鉄時代から続く列車がどんどん消えて行って寂しいなと思っていたのですが、先週、宮城県の観光部門の超偉い方とお酒を飲む機会がありました。
私が千葉で先方は仙台ですから、「では途中で会いましょう。」となって福島県の郡山でお会いしたのですが、その席で「あけぼの」の話になりました。
私は大人になってから「あけぼの」には数回乗っていますが、私にとって、「あけぼの」の思い出というと、確か昭和48年ごろだと思いますが、奥羽本線が不通になっていた時期に、「あけぼの」が数か月間ですが陸羽東線を迂回して走っていたことがあって、その時の牽引機が実はC58だった時代があるんです。
その時、私は中学生だったんですが、陸羽東線なんて遠くてとても行かれませんでしたし、寝台特急も夢のまた夢でしたので、でも居ても立ってもいられなくなって、それではということで夜の上野駅に行って「あけぼの」の発車を見送っていたんです。
電気機関車と連結されているナハネフ22やカニ21の連結器をじっと見つめて、「小牛田からはここにC58が連結されるんだなあ。」などと、まだ見ぬ遠い北国に思いを馳せていたんですが、お酒の席でそんな話をしたところ、その宮城県の観光の超偉い人は、ニコニコしながら、「私は陸羽東線で学校へ通っていました。」とおっしゃいまして、C58が「あけぼの」を引いていたこともはっきり覚えているし、何時の列車は重連だったなどと、初対面にもかかわらず、陸羽東線のC58の話で盛り上がってしまいました。
当時の東北には会津若松のC11、新津と酒田のD51とC57、米沢の9600、花輪線と五能線のハチロクなど、まだたくさん蒸気機関車が活躍していた時代でしたが、寝台特急をC58が重連で牽引するというのは、C62が「ゆうづる」を引いていた電化前の常磐線ならまだしも、SLブーム真っただ中の時代としてはすごいことだったんです。
鉄道という共通の趣味があると、年齢も立場も、もちろん育った環境も違う人が、初対面でも仲良くなって意気投合できるのですから、本当にうれしく思いますし、宮城県は観光のTOPにこのような方を置くのですから、観光に対する力の入れようというものがわかるなあと感じました。
さて、話が横にそれましたが、「あけぼの」のような寝台特急は、最初は20系で登場しましたが、当時は「走るホテル」と呼ばれていて、超豪華列車だったのです。
寝台車で横になって旅行ができること自体が特別だったので、走るホテルなどと言われていたのですが、そういう時代に庶民はどうやって旅行をしていたのかというと、同じ夜行列車でも、寝台ではなくて、ふつうの座席車が一晩中走って目的地に着く列車がたくさん走っていて、それだと寝台料金がかかりませんから、安上がりだったんですね。
お金を安く上げるという意味では、今の夜行バスのようなものですが、夜行バスは必ず座れますが、当時の列車は混んでいて、ボックス座席にぴったり4人座って、通路には新聞紙を敷いて座るのが当たり前で、そうやって一晩かかって目的地へ向かっていたんです。
私の夜行列車初体験は小学生の時の急行「銀河」ですが、実はこの「銀河」は寝台車が10両ぐらい連結されていたその一番後ろに2両だけ座席車が付いていて、私は家族でそこに乗って京都へ行ったんです。
新幹線が走りはじめていたものの、わざわざ私のリクエストで夜行列車で行ったわけですが、座席車というのは当然のことで、寝台車という話は一言も出ませんでしたから、当時の寝台車はやっぱり高嶺の花だったんだと思います。
それで味を占めた私は、中学、高校と夜行の座席車に片っ端から乗車しました。
「鳥海」「津軽」「八甲田」「十和田」「宗谷」「すずらん」「大雪」「大社」「からまつ」、「はやたま」、「桜島・高千穂」などなど、すぐに思い出すだけでもこれだけあって、これらは皆、機関車牽引列車ですが、それ以外でも大垣夜行のような電車や気動車の夜行列車もたくさんありました。
会津線に行くときは455、475系の急行「ばんだい」、小海線へ行くときは165系急行「アルプス」など、本当に座席の夜行列車にはお世話になっていて、たくさんの思い出があるのです。
今回、いすみ鉄道で夜行列車を運転して、一晩中汽車の中で過ごしてもらおうと考えたのは、私のそういう経験からなんですが、「あけぼの」がなくなったことからわかるように、夜行列車で目的地へ行こうという需要はほとんどなくなっているんですが、私は「夜行列車に乗ってみたい。」という需要は確実に存在すると考えているからなんです。
だから、わざわざ遠くへ行かなくても、大原―上総中野間26kmを行ったり来たりするだけで朝を迎える夜行列車だって、私は運転する意味があると思うのです。
昭和の時代に私と同じような経験をした方はもちろんですが、座席の夜行列車なんて話に聞いただけというような若い方も、ぜひ、昭和のDMH17のエンジンが響く車内で一晩過ごしてみるってのはいかがでしょうか。
ただし、思い出というのは「美しいもの」でなければならないというのも大切な要素ですから、可愛かった昔のガールフレンドに再開してがっかりするのと同じように、当時の夜行列車をそのまま再現しても、皆さんの楽しい思い出を壊すことになりかねませんから、今回はまず、夕ご飯に房総半島のおいしいお魚を召し上がっていただいて、列車に乗っても、1ボックスに2人とか、あるいは1人で占有するプランになっていますし、一番廉価版のロングシートプランでさえ、5~6人席に最大2人という設定にしてあります。
1ボックス4人座って、更に新聞紙を敷いて・・・何てことはありませんので、どうぞご安心ください。
昭和のディーゼルカー、キハ52とキハ28の夜行列車。
DMH17の音を子守唄に一晩過ごすことができるBIG CHANCEだと思いませんか?
4月12日土曜日、午後8時の発売開始です。
ちなみに前回、会員様向けに2月に実施した夜行列車はこちらにレポートしています。
ご参考までに。

憧れのブルートレイン「北星」に乗った時の記念写真。
中学3年生の時、同級生の柴山君(左)と石川君(中)
私(右)が昔やせていてジャニーズ系だったことがわかる証拠写真です。(笑)
この頃は九州特急で活躍した20系が新しい14系に変わって、20系は押し出された形で「あけぼの」や「瀬戸」、「出雲」など、各方面へと寝台特急が広がって行った時代です。
この「北星」は上野―盛岡間を走る列車で、この時は宮古のラサ工業という工場で走っていたC10を見に行った帰り道。
奇跡的に寝台券が取れたので大奮発して初めて乗りましたが、この後は高校、大学と、座席の夜行が当たり前の学生生活でした。
懐かしい思い出です。
今となってはなかなか体験できない昭和の夜行列車。
皆さんもいすみ鉄道のキハで思い出を作りませんか?