要らないものを売る商売 その2

「必要なものを売る商売」に比べると「要らないものを売る商売」の方が、商品の種類も少なく、競争相手も少ないので、比較的小資本でも成功することができる。
私はそう確信していましたので、地域の輸送に特化する地域交通として「必要なサービスを提供する商売」ではなくて、観光列車のような「要らないものを売る商売」にいすみ鉄道が進む道があると考えました。
もちろん、地域の輸送手段として公共性が高いのがローカル線ですから、観光鉄道化することの最大の目的は、観光旅客による収入増でその地域の輸送手段を守ることであり、「要らないものを売ること」で、徐々に需要が減りつつある「必要な輸送手段」を確保することが目的なのは言うまでもありません。
ただし、あまりにも地域輸送に目を奪われすぎると、それは「必要なものを売る商売」に特化するということになってしまい、突き詰めて言えば「じゃあバスでもいいんじゃないですか。」という話になるのが、過去数十年間に全国的に見られる流れでしたから、地域の商店街の個人商店が、大規模量販店やコンビニチェーン店に取って代わられるようなことが、公共交通機関にも起こるわけで、それでは結果として地域のためになりませんから、私は「要らないものを売る商売」を一生懸命やっているのです。
ところが、一生懸命やるといっても、どんな商売でもやり方を考えなければ、いくら一生懸命やっていてもダメになる場合があります。
いすみ鉄道を観光鉄道化するにあたって、私は、できるだけ一生懸命やらなくても、お客様に喜んでもらえる方法はないものかを「一生懸命に」考えました。
日本では昔から、商売は「あきない」と言って、朝から晩まで、休みもせずに何事も一生懸命やるのが尊い姿だと言われてきました。日本人的な「一生懸命さ」というのは、朝から晩まで汗水たらして働くことでした。
これはどういうことかというと、簡単に言えば「人が手間暇かけてお客様のお相手をする」一生懸命さであって、特にサービス業では、お客様をお待たせしない、お客様にご満足頂くような、接客面で対応する商売のやり方が、正しいとされてきました。
ところが、そういう一生懸命さでは、人件費が最大コストといわれる今の時代に対応することはできませんから、できるだけコストを掛けずに、最少人数のスタッフで対応できるサービスを、一生懸命やることが、いすみ鉄道には求められるわけです。
だから、人が人をお世話するような、労働集約的な一生懸命さは、いくらサービス業といえども、いすみ鉄道で展開するにはしょせん無理な話ですから、最初から選択肢に入れなかったわけです。
また、人的投資だけでなく、大きな設備投資をするようなお金がかかることもいすみ鉄道ではできません。
それは、皆さんもご理解いただけると思うのですが、例えば観光鉄道として真っ先に思い浮かぶような蒸気機関車やトロッコ列車、展望車両のようなお金がかかる車両をそろえることも、いすみ鉄道にはできません。
私が就任した2009年当時のいすみ鉄道は、このように、人もいないしお金もない。ナイナイ尽くしのいすみ鉄道でした。
ふつうに考えると、「これでは手も足も出ない」と意気消沈するところだと思いますが、私はお金がないぐらいではへこたれませんし、第一、再建に来たのですから最初から人やお金を掛けられるとは考えていませんでした。
では、どう考えていたのかというと、こう考えたのです。
高いお金をかけて蒸気機関車を走らせたり、トロッコ列車を走らせるとします。
そういう戦略を立てると、どういうことが起きるか。
それは、JRや大きな資本を持つ観光鉄道に対して真っ向勝負を挑むことになる。
お客様としても、SLだったらJRの磐越西線や上越線、大井川鉄道や真岡鉄道などと並び称される並列の関係、つまり、いすみ鉄道がSLを運転するとなると、これらの鉄道会社が競争相手になるわけです。
トロッコ列車をやるとしたら、嵯峨野観光鉄道やわたらせ渓谷鉄道というように、お客様は数あるトロッコ列車の選択肢の一つとしていすみ鉄道を見るようになります。
どういうことかというと、お買い物に行くときにセブンイレブンか、ローソンか、それともファミリーマートに行こうかと、「必要なものを売る商売」と同じ競争の世界に入ってしまうわけで、例えばいすみ鉄道沿線には大井川鉄道やわたらせ渓谷鉄道のような清流が流れているわけでもなく、江ノ電のような風光明媚な海岸線や昔ながらの民家の軒下を通る風情もないわけで、競争に勝てるロケーションではない。
いすみ鉄道が、いくら観光鉄道と言ったところで、他の鉄道に真っ向勝負を挑むだけのレベルではありませんから、そういう素晴らしい鉄道路線に勝負を挑むような戦略は立てるべきではないのです。
「いすみ鉄道は房総半島を走るのに海岸線もありゃしない。これじゃあ、観光鉄道として勝負できるわけないよ。」
そう文句を言ったところで、自分を生んでくれた親に文句を言うようなものですから、私としては、与えられた環境の中で、何ができるか、何が最善の方法かを考え、いすみ鉄道が勝負できる土俵を見つける必要があったわけです。
でも、沿線風景や経営環境ではほかの路線に勝てそうもないと言っても、私は社長として何とかこの鉄道を立て直さなければなりません。
そこで、基本に立ち返って、自分が何でいすみ鉄道の社長の公募に手を挙げたのか、ということを考えてみました。
私の父は勝浦の出で、私は子供のころから毎年のように夏休みや冬休みに勝浦のおばあちゃんの家に出かけてました。いすみ鉄道沿線の房総半島は子供のころから、そうですね、45年も前から親しんだ土地で、風景や人情もとても気に入っている場所なのです。これが、公募の動機でした。
春になると沿線には花が咲き乱れ、お花畑の中を走るおとぎ列車のような風景は、東京からの距離を考えた場合、とても貴重であって、それはいすみ鉄道だけでなく、小湊鉄道沿線にも残っていますから、二つの路線を結ぶ商品開発をすることで、1+1=2ではなく、3以上になる大きな可能性を秘めている。
私は、こういう鉄道はまだまだ使えるから、廃止になんかしないで、その使い方を私がお示しすることで、鉄道も存続できるし、地域も元気になると確信していたのです。
このように、観光鉄道化するといっても、SLやトロッコ列車のように他社がやっていることを同じ土俵で真っ向勝負を挑むような戦略を立てることはせずに、他社がやっていない、いすみ鉄道独自の観光鉄道戦略を立てることで、いわゆる「ブルーオーシャン戦略」を展開することが、私は十分に可能だと考えていましたし、そこにローカル線ビジネスの解決の糸口があることがわかっていましたから、航空会社を辞めてこの地域の飛び込む価値は十分にある。
そう考えて社長公募に応募したのです。
今振り返って思えば、皆様も「な~んだ。そういうことか。」とすぐに思われるかもしれませんが、わずか4年前に、私がいすみ鉄道の社長になった時点では、日本中のだれもが、そう、国交省の偉い人たちでさえも、お金も人材もないいすみ鉄道のような会社に、ローカル線ビジネスのチャンスがあるなどということは想像もできなかったというのが、実際の所なんです。
(つづく)