今日は久しぶりの休み。
朝から雨だし、さあて、何をしようかと考えていたら、私の作業テーブルの脇にネガファイルがあるのが目に止まりました。
手に取ってみると、昭和46年から48年ぐらいまでのネガが無造作に束ねられているので、スキャンしてみようかと何気なくスキャナーにかけて見た所、実に懐かしい光景がいろいろ出てきました。
私にとっては懐かしいけれど、あまり価値がわからない写真ですが、ご覧になる皆様方にとっては、結構お宝かもしれませんので、東京育ちの私が小学生の時に撮影した写真を並べて見ることにしましょう。
以前にもお話をさせていただきましたが、小学生の時の私は代々木と千駄ヶ谷の塾に通っていたのですが、塾へ行くといっても勉強はどうでも良くて、お目当ては電車に乗ること。
だから、カバンの中にはいつもオリンパス・トリップ35という小型カメラが入っていて、塾の行き帰りにいろいろなところに立ち寄っては写真を撮っていたのでした。
当時のフィルムは20枚撮りか36枚撮り。
今のようにデジカメで撮った写真が気に入らなければ消去できるわけではありませんから、1枚ずつ考えてシャッターを切っていた・・・はずなのですが、今見ると何だかな~、の写真ばかり。
お小遣いが限られていましたから、36枚取りのフィルムを何日にも分けて使っていた記憶があります。
現像料金は200円。プリント1枚15円(白黒)でしたので、たぶん、お小遣いのほとんどをフィルムと現像に使っていたものと思います。
既に40年という歳月が経過していて、撮影した私自身が記憶の彼方にあるような
シーンばかりですが、これから日を追うごとに、その記憶の彼方がさらに遠いところになっていくことだけは確実ですから、早くした方が良いわけです。
今、いすみ鉄道にいらしていただいている鉄道ファンの皆様のほとんどが、この世に影も形もなかったころから、私はカメラを持って鉄道を追いかけていたということなのです。
[:up:] 東上線 下板橋
自宅の最寄り駅は東武東上線の下板橋駅。ここから池袋に出て山手線に乗りかえるのがコースでした。
写真は8000形電車。まだピカピカしていたころです。
[:up:] 総武緩行線電車(上)と中央線快速電車(下) 千駄ヶ谷
当時はどちらも101系。シュシュシュというコンプレッサーの音が旧型国電と違ってカッコ良かった頃です。
[:up:] キハ28が先頭の急行「そと房」。
撮影したのが昭和47年5月。ということは電車化される2か月前ということです。小学校6年生になったばかりの私が、「もうあと2ヶ月で見られなくなるから」と記録した1枚です。
[:up:] 何を思ったのか、千駄ヶ谷の駅の反対側に出て、下から待ち構えた「そと房」。
上の「そと房」が新宿へ着いて、折り返しの安房鴨川行になるのを待ち構えて下から撮影したんですね。
房総半島へ行く急行列車はキハ28ばかりだったころですが、キミマロさんじゃないですが、あれから40年、いや41年目の夏を迎えて、今、いすみ鉄道にキハ28の「そと房」が走っている、その原点にあるのがこの1枚なのです。
ということで、気が向きましたら、また、お見せしたいと思います。
どうぞお楽しみに。
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