明日、6月20日から勝浦市役所で房総東線両国-勝浦間開業100周年を記念した展示会が開催されます。
東京地下駅が開通して40年も経つと、房総への始発駅が両国駅だったことも風化しそうですが、私が子供のころは、両国駅で行列を作って混雑した急行列車に乗っていくのが千葉へ行くお決まりのコースでした。
列車は始発駅の両国ですでに満員でしたから、船橋や千葉から房総へ行く人たちはどうしてたんだろうと、今でも当時の旅の大変さを思い出します。
でも、それよりも前の時代の人たちは、どうやって房総へきていたのでしょうか。
勝浦のおばあちゃんが、小学生だった私に、「汽車は勝浦までだった時代が長く続いた。」という話をしてくれたことを思い出します。
「そのころは、勝浦から先の人たちはどうしていたの?」と私が聞くと、おばあちゃんは
「汽船だったよ。」と答えました。
鉄道ができる前の房総半島は、汽船が港を回りながら人や荷物を運んでいたんです。
気が遠くなるほどのんびりとした時代だったのでしょう。
そんな100年前の勝浦の資料をいろいろ集めて、勝浦開業100周年展示を企画するトラさんこと江澤修さんは、何を隠そういすみ鉄道の運転士。
地元のために一生懸命頑張っているおじさんです。
皆さん、ついでの御用はないと思いますが、勝浦市役所に足を伸ばしてみてください。
6月20日から2週間の予定です。
詳細については 勝浦市地域おこし協力隊 のページをご参照ください。
さてさて、表題の 「房総西線、房総東線の写真を求めます。」 についてですが、昭和の時代の千葉の汽車の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、いすみ鉄道まで「電子データ」でお送りください。
キハ52、キハ28の車内に展示させていただきたいと思います。
房総西線、房総東線に限らず、総武線でも成田線でも両国や上野駅などでも構いませんが、できれば電化前の写真が良いですねえ。
電化後でも結構ですが、昭和60年以前の写真としましょうか。
応募はメール添付で。
撮影者、撮影年月日(わかない場合は昭和43年ごろなどでも構いません。)、そして撮影場所。
おじいちゃんが撮影したネガにあった、などでも結構です。
古い写真は、おそらく、いま集めておかないと、ヤバい状況だと思います。
選考は私が独断と偏見で行いますので、御一任ください。
プリント写真は受け取れませんので、データ化してお送りください。
送り先はいすみ鉄道代表メール mail@isumirail.co.jp へ。
タイトルに「千葉の鉄道写真」と記入してお送りください。
先日、私は房総西線の巌根駅にいたと申し上げましたが、私がいたころの巌根駅は単線で、行き違い設備があり、駅舎は上りホーム側。跨線橋はなく、下り列車のお客さんは今の国吉駅のように降りた列車が発車するのを待って踏切で駅舎側へ渡っていました。
ただ、国吉駅と違うのは、巌根駅はホームの階段に蓋があって、列車が発車すると駅員さんが蓋を開けてお客さんを通していたことですかね。
下り列車を降りると、その蓋付階段のところに機関車が黒い煙を吐いて停まっています。
お客さんは機関車のすぐ横で発車するのを待っているわけですが、私はこれが嫌で嫌で仕方なかった。
真っ黒い機関車がシューシュー音を立てていて、そばに寄るだけで熱気が伝わってくる。そして、ボーッと大きな発車の汽笛が目の前でなるわけですから、両手で耳を塞いで目をつぶって下を向いていました。
なかなか汽笛が鳴らないので目を開けて機関車を見ると運転席の機関士さんが、「鳴らすぞ!」といって面白がって汽笛を鳴らす。
そんな光景が今でも目に浮かびます。
駅舎と反対側は一面の田んぼで、今のように道もなければ家も建ってませんでした。
私の家は国道側にあったので、駅舎を背にして左手(木更津方面)へ少し歩いたところにある小さな踏切を渡ります。
今乗ってきた汽車が、まっすぐ走って行って左に曲がっていくのを見送ってから田圃道を歩いて、森を抜けると国道に出たことを覚えています。
これが私の原風景です。
どなたか、この時代の巌根駅付近の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお見せください。
皆様方のご応募をお待ちいたしております。
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