先日、いすみ鉄道を応援してくれているファンの方から1枚の写真が送られてきました。
D5150が引く貨物列車の写真です。
この写真を見て、私は、「あっ、新小岩のカマだ。」と思わず口にしました。
すると、事務所にいた検修課の小関さんがやってきて、この写真を見て言います。
「私はこの機関車、さんざんカマ炊きましたよ。」って。
それを聞いて、鉄道部長の川上さんがそばに来て、この写真を覗き込んで言います。
「ああ、佐倉ですね。この手前の踏切は、機関区の入口ですよ。」
すると小関さんが、
「旧線ですね。寺崎のトンネルを通る新線ができる前ですから、昭和30年代後半から昭和42年ぐらいの写真じゃないですか。」
と言います。
私は、今、佐倉に住んでいて、最近急速にその姿を消しつつある総武本線の旧線跡に沿って、ときどき廃線跡を歩いたりしていますから、
「今はここに陸橋ができていて線路をまたいでいますよ。この写真はちょうど今の寺崎の法務局佐倉支局のところですね。」
と会話がはずみました。
いすみ鉄道には人材が豊富ですから、こんな会話が大多喜駅の事務所の中でふつうに交わされているのです。
小関さんが言うには、D51のナメクジは新小岩に2両いて、1両はどうも蒸機上がりが悪く性能が今一つで、それに当たると、今日はツイテないなあ、と思ったそうです。
すごいと思いませんか?
そういう会話ができる職場って。
私が小学生の頃、憧れていた鉄道の職場。
目の前を走る蒸気機関車の運転席から手を振ってくれた乗務員の人たちと、今、同じ職場で仕事をできるなんて、すごく幸せなことだと思いませんか。
これが、いすみ鉄道の社内の「蓄積」だと思うのです。
3セクなんて・・・とバカにはできないのです。
先日、毎日新聞の千葉版に出ていた記事です。
2月に佐原から銚子までの成田線をC61が旧型客車を引いて走りました。
その運転の際に、パンフやポスターに「成田線に44年ぶりの蒸気機関車。」と見出しがついていましたが、実はそれが違っていて、44年ぶりではなくて、41年ぶりの間違いだという指摘の記事です。
私はそれには当然気づいていました。
成田線、総武本線などで活躍した蒸気機関車は昭和44年に廃止されましたが、その3年後の昭和47年に梅小路入りする直前のC571が千葉―銚子間を走ったのです。
JRの記録では、運用廃止され、さよなら列車が走った昭和44年から起算して44年ぶりと表現したのでしょうが、新聞記事によれば、昭和47年に運転されたのが最後だから、41年ぶりというのが正しいということ。
昭和47年といえば鉄道100年の年で、新橋―横浜間をはじめ、首都圏各地で蒸気機関車の復活運転が行われました。
新橋から横浜の区間は、当時残っていた汐留貨物駅が鉄道開業当初の新橋駅ということで、紀伊田辺かどこからか借りてきたC57の7号機が運転されましたし、八高線では酒田から借り入れたD51498(今でも活躍する保存機)とD511002が走りました。
そして、総武本線、成田線では新津から梅小路に入る途中のC571が走りましたが、私ははっきりと記憶しています。
なぜかといえば、毎週連続で八高線と千葉と都内でSLが走る。
でも、限られた小遣いでは全部行くことはできない。
じゃあ、どこへに行こうかとさんざん迷ったからです。
C571は梅小路へ入るので、今後、いくらでも見ることができるだろうし、新橋―横浜間を走るのもC57だから、無理して銚子へ行くこともないだろう。
それに対して八高線はD51が2両も走り、1両はまだ見たことがなかった「かまぼこドーム」の1002番ということで、結局は八高線へ足を運んだからで、子どもの頃の心の葛藤を鮮明に記憶しているわけです。
だから、私はJRが今回のSL運転に際して、「44年ぶり」と表現していることに最初から「違うだろう」と違和感を覚えていましたが、JRから相談を受けたわけではありませんし、歴史の検証をするのでもなく、汽笛と煙の臭いをかげればよいと思っていたから、「まあ、どうでも良いか。」と思っていたわけです。
でも、私よりも年上のおじさんで、こういうことをきちんとしなければ許せない人が、新聞社に投書して、実は鉄道100年の時、千葉―銚子間でC57の1号機が走ったときにスポンサーになっていたのが毎日新聞だったということから、報道の面目じゃないですが、紙面の上段半分を使うほどの大きな記事になったみたいです。
何度も言いますが、JRが蒸気機関車を走らせるのは地域振興の一つとして、皆さんに喜んでいただくことが目的でありますから、私は、前回いつ走ったとか、そういうことはどうでも良くて、煙の臭いと汽笛の音、そしてダイナミックな走行に、観た人それぞれが思いを馳せればそれで目的は立派に達成されるわけです。
だけど、一つだけはっきり言えることは、今のJRの社内には、いすみ鉄道には当然存在する「過去の蓄積」というものがすでに消え去ってしまっているということ。
歴史の積み重ねや蓄積が、いすみ鉄道にはあるけれど、JRにはないんじゃないかなあ、ということです。
JRの使命は日夜安全、正確に大量のお客様を目的地に運ぶことですから、成田線にSLが走ったのが44年前だろうが41年前だろうが関係ないことで、そういう歴史というか、過去の蓄積は現在の日々のオペレーションには一切関係ないのですから、広報担当者が知らなくて間違えても特に問題はありませんし、今回の件も、毎日新聞の取材に対して、「そうですね、間違えていました。」と素直に謝っているのですから、JRもすごいなあと思うのですが、やっぱり、日々、輸送に従事しているだけでなく、私でも知っているこのぐらいのことは、関係者なら当然知ってろよ。と思わないわけでもありません。
鉄道ファン向けのイベントというのは、日々のオペレーションとは全く違った世界の話で、適当な知識ではできませんから、自分たちがすでにそういう蓄積を失っているのであれば、次回以降、こういうイベントをする前には、企画の時点でいすみ鉄道にひと言相談していただければ、赤っ恥をかかなくても済むのではないでしょうか。
というのが私の提案です。
聞くは一時の恥。聞かざるは一生の恥。
日々のオペレーションに関して言えば、そんなことにこだわっていると、逆に支障をきたすと考えられているのでしょうね。
だから組織の中で、マニア的知識が価値のないものだとされているのでしたら、そういうことは、いすみ鉄道に相談していただくのが一番なんじゃないでしょうか。
今日は、50年近く前のD51の引く貨物列車の写真を見て、そのように考えたのであります。
そう考えると、先日の京成電鉄さんは、きっと蓄積も底力もあるんでしょうね。
京成電鉄がファン向けのイベントをやったら、きっとすごいと思いますが、3300を廃車にするのなら、湘南スタイルに顔を変えて、1600もどきでイベント車両として取っておく、なんてのはいかがでしょうか。
※ナメクジD51、かまぼこドーム、京成1600など、鉄分が多くて消化しきれない人はご自身でお調べくださいね。
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