「実は鉄」 が増えていますね。

いつの頃からか、「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかいう言葉が使われるようになりましたが、最近感じるのが、「実は鉄」がとても増えていること。
私の周りだけかもしれませんが、実は鉄男君であること、それもずっと以前からそうだったことを告白する人が増えている気がします。
先日、同級生との新年会があり池袋まで出かけてきましたが、私の座ったテーブルに集まってくるのは、昔の仲間とはいえ、何となく鉄臭いのに気づきました。
以前にもお話ししたと思いますが、昭和50年代前半に青春時代を送った私たちは、自分が鉄道ファンであるということを隠す傾向がありました。
鉄道が好き、というと女の子にもてないイメージがあったからですが、そんな中で私だけはジャニーズ系(!!)だったので、「鉄道が好き」と堂々と言えたわけですが(笑)。
私がいすみ鉄道にいるのを皆知っていますから、安心するのでしょうか、それとも恥ずかしさを失った年齢だからでしょうか、昔の仲間が集まった席上での会話。
東君:「都営6号(三田線の昔の呼び方)の車両が2種類あったの知ってる?」
高瀬君:「ああ、当初からの車両と、増備車だろ。」
私:「そうそう、戸袋のところに窓がないやつね。」
東君:「あれが来ると嬉しかった。」
私:「俺は6000系は初期車の方が地下鉄らしくて好きだったなあ。」
そこへ渡辺君が
「形式でいわれても俺はわからないけど。」
「えっ、何で? 形式は基本でしょう。」
「そんなことないよ」と反論する渡辺君。
そこへ遅れてきた中原君が着席すると、渡辺君が中原君に助けを求めるかのように、
「なあ、三田線の車両の形式知ってる?」
「ああ、6000だろ。」
「えっ、何で知ってるの?」
「そんなの当たり前じゃん。」
渡辺君は固まっていましたが、気を取り直して
「俺はさあ、停車駅とか好きなんだよ。車掌のアナウンスとかね。」
と京浜急行の快速特急のアナウンスを披露。
コンプレッサーの音とか、ドアが閉まる音とか、いろいろやってくれました。
私たち板橋、豊島、文京区あたりの少年たちは、女の子を誘って逗子や鎌倉、湘南海岸へ遊びに行くのが一つの流行でしたから、関東の私鉄電車では京浜急行が一番人気。
それと、京王帝都(現京王電鉄)なんかも特急がすごく速くて人気がありました。

パシナコレクション72 都営三田線 6000形
そんな私が精魂込めて作り上げたのがこのDVD。
開業以来活躍した三田線の6000系電車が1999年に引退するときの前面展望です。
この時は、最後に残った2編成の6000系を1列車違いで運用を組んでもらい、西高島平を出た列車が、西台の手前の地上区間でもう一方の6000系電車とすれ違うようにして撮影。
当時の折り返し駅であった三田に着いて、乗ってきた列車を見送って、次の6000系に乗って、高島平の手前で往路に乗った6000系と出会うという行程で撮影しました。
「ピンポーン」ではじまる駅のアナウンスもこの時までで、その後、ワンマン運転とホームドア化で、私が育ったころの三田線からは大きく変わってしまいました。
今でも時々、このDVDを自分で見て、「撮っておいてよかったなあ」と思います。
それにしても、学生時代は高瀬君だけだと思っていた鉄男君が、実は自分の周りにこんなにたくさんいたなんて。
渡辺君もそうですが、皆、バンドとかやっていて格好良かったのに、「実は鉄」だったのですね。
安心したというか、騙されてたというか。
参加した女子たちは、相変わらず、鉄道の話をする私たちに白けた目を向けていましたけどね。
おじさんたちの目は今でも輝いているのです。
この三田線のDVDを撮影したのが1999年。
早いものであれから13年。当時の私はまだ30代でした。
ということは、今から13年経つと、えっ、65か!
ヤバいヤバい。
早くしないとなあ。やりたいこととやらなければいけないこと、たくさんあるし。