労働集約的って?

先日のブログで社会の構造の話をしました。
労働集約的な仕事では、限界が見えているので、いくら働いても構造から抜け出すことができないと、20代の私が真剣に考えていた話。
労働集約的?って何ですか、との声が聞こえますので、具体例を挙げてみます。
私は難しいことを考えることができない頭の構造なので、簡単に説明しますね。
例:バス事業と鉄道事業
1台に50人乗れるバスがあります。
1両に50人乗れる鉄道車両があります。
どちらが労働集約的でしょうか?
この質問に、皆様はどうお答えになられますか?
答えを得るためにはお客様の数を変えてみましょう。
お客様が100人だったらどうなりますか?
バスも鉄道も車両が2台必要になります。
ところが、違いがあります。
バスは2台必要になると運転士さんも2人必要です。
でも鉄道は2台連結しても運転士さんは1人で済みます。
仮に500人のお客さんを運ぶとしたら、バスでは運転士が10人必要になりますが、鉄道では10両編成にすればよいわけですから運転士は1人で済みます。
つまり、売上を上げる、サービスの供給を増やすために、バス事業では、それ相当の人件費がかかりますが、鉄道では人件費は一定です。
この場合、バス事業の方を労働集約的という訳です。
そして、一般的には、労働集約的な仕事では、働く側も、高い賃金を望むことは不可能な場合が多いのです。
だから、高い給料がほしかったら、労働集約的な仕事についてはいけないのです。
これが社会の構造です。
(バスの運転士さんが仕事として良くないと言っているわけではありませんので、あまり短絡的に考えないようにしてください。)
この、労働集約的に対して、資本集約的という言葉があります。
産業革命のときに手工業から工場に変わったときのことですね。
労働集約的仕事にも資本集約的仕事にも一長一短があります。
資本がない人は資本集約的仕事はなかなか着手することができないし、だからといって労働集約的な仕事をしていたのでは、売上を上げるために、それに比例してコストも高くなっていくのですから、たいへんなのです。
だから、私が、いすみ鉄道で実践しているのは、そのどちらでもないのです。
私がやっているのは、鉄道のお客様にお土産物を買っていただくという、付加価値を付ける仕事。
マックで 「ご一緒にポテトもいかがですか?」と聞かれますが、
私は、ハンバーガーを買っていただくお客様にポテトをプラスして売上を上げる商売をヒントに、ポテトを買っていただくお客様に、より金額が大きいハンバーガーを買っていただく商売をしているのです。
どういうことかと申しますと、鉄道というのは百円玉を集める仕事です。
鉄道運賃はだいたい安価ですから、百円玉の商売になります。
いすみ鉄道の場合でいうと全区間乗っていただいても700円です。
このお客様にお土産を買っていただいたり、各種オーナーになっていただくことで、百円玉の商売を千円札の商売につなげているのです。
オーナーになっていただければ、いすみ鉄道に来られなくても、自宅に居ながらでも、ローカル線が走っていると考えただけで幸せな気持ちになれるという付加価値を付ける仕事をしているのです。
そして、それが、元手のない会社が行う正しい商売だと考えているのです。