先週の土曜日、日本経営士会の会合に招かれまして、能楽師 シテ方観世流 九世 橋岡久太郎氏 にお会いしました。
橋岡さんは「ちばが世界に誇る伝統的文化の継承」という題で講演されましたが、世界各国で能を舞われ、日本の伝統芸能を発信されていらっしゃるすごい方です。
私は学生時代に立原正秋に傾倒してよく読んでいました。
彼の作品には能がよく取り上げられていましたので、歌舞伎が大衆芸能であるのに対し、能は将軍家などの一部の人たちを対象にした芸能であるという程度の知識は持ち合わせていますが、全く縁がない世界ですので、お会いできるのを楽しみにしていました。
橋岡さんのお話では、能というのは舞台装置や配役など、極限まで省けるものを省いた芸能であり、他のお芝居などでは様々な大道具や小道具を使ってシーンを表現するところを、能は老松を描いたのみの舞台で、例えば、千本の桜のシーンを表現するのにも、桜吹雪など散らすことなく、見る側の人たちが、そこに桜があるということを想像して、舞いを鑑賞する、というようなお話をされていました。
どこかで聞いたような話ですね。
極限まで無駄を省いた何もない世界。
見る人が、想像力を膨らませなければ見ることができない世界。
そして、一部の人たちしか理解することができない世界。
そう。
私は、いすみ鉄道のようなローカル線によく似ているような気がしました。
良さがわかる人だけの世界なのです。
橋岡さんは450年前の面を会場で見せてくれましたが、すごいですね。
豊臣秀吉の時代の般若です。
裏に「天下一」と書いてあるところは、まさしく秀吉ご愛用だった代物。
能というのは、このような文化財を惜しげもなく使用して披露するものだそうです。
能面のような顔、といいますが、小面(こおもて)を角度を変えて見せていただいたところ、表情のないはずの能面が、角度によって、本当に悲しそうに見えたり、喜んでいる表情に見えたり。
こんなすごい能の世界を、ぜひいすみ鉄道沿線で披露していただけないかと、初対面にもかかわらず、ずうずうしくお願いしてしまいました。
橋岡さんも「ぜひ機会を作っていただきたい」と快諾してくれました。
なぜならば、橋岡さんと私とは、実は地元同士なんです。
橋岡さんが4丁目、私が1丁目。
奥さまは学校のPTA会長をされていたこともあり、近隣ではとても人気がある方なのです。
ご縁って不思議ですね。
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