勝浦のおばあちゃん

「かあちゃん、トンカツの話してくれよ。」
「なあ、かあちゃん、トンカツってどうやって食べるのか、教えてくれよ。」
戦争中、食べるものが何もない頃に、小さかった私の父が、祖母にたずねた言葉。
「おまえのお父さんは、食べるものがない時代に育ったから、こんなことを言ってたことがあるよ。」
子供のころ、好き嫌いが多かった私に、祖母が、そう言った。
私の父は昭和7年生まれ。
ちょうど育ち盛りの時に食べるものが満足になかった世代。
東京の築地で生まれたものの、中学に入る前には戦火を逃れ、祖母の故郷である勝浦へ家族で疎開。
東京に残った祖父とはそのまま連絡が取れなくなったらしい。
父は4人兄弟の末っ子。
上の兄や姉たちは、戦争がひどくなる前の、ある程度ものが豊かだった時代を経験しているけれど、父は、「トンカツ」すら、見たこともない世代だったようだ。
子供の頃の私は、野菜類など一切食べず、とにかく好き嫌いが多かった。
いわゆる食わず嫌いというヤツ。
当時の大人は、明治、大正、そして昭和一ケタのひとばかり。
「食べ物を残すとは何事か!」と怒る人と、
「好きなものをおいしく食べればそれで良いよ」と言う人の二通りいたような気がする。
共通するのは、どちらも食べ物がない時代を過ごしてきた人たちだった。
祖母が私になぜ「父のトンカツの話」をしたのか、理由はわからないけれど、当時70ぐらいだった祖母がポツリと言った一言を、今でも覚えているのだから、私の中で、よほど印象に残ったシーンだったと思う。
明治28年生まれで大正時代のモダンガール世代だった祖母。
昭和30年代の、蛍光灯も普及していなかった時代に、勝浦の田舎で、朝食はいつもトーストにコーヒー。
私が田舎に行く時は、父が祖母へのお土産として、いつも「木村屋の三日月パン」を持たせてくれた。
ずっと後になった高校生のころ、クラスメートの女の子達が、自慢げに「クロワッサン」を食べ始めた。
「クロワッサン?」
聞きなれないおしゃれな言葉にふと見ると、それは子供のころいつも祖母の所へお土産に持って行った「三日月パン」だった。
そんなハイカラな祖母だったから、自分の子供に満足に食べるものを与えてあげられなかったことが、余程、辛い思い出だったのだろう。
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昨日、昼食にトンカツを食べた。
父の時代と違って、今の私にはトンカツは「食べられないもの」ではなく、健康のために「食べてはいけないもの」。
昔なら特別の日に食べた物が、今ではごく当たり前の食事になっている。
だから、せめて、トンカツを食べる日を特別な日としてとらえよう。
平和な毎日をすごし、ありがたい食事をいただける日は、特別な日と考えれば、感謝の気持ちがわいてきて、そこから、また新しい何かが見えるようになるのではないか。
Everyday is a Special Day !
カロリーの高いトンカツを昼食に食べてしまった罪悪感?からか、そんなことを考えながら、二人ともすでに川の向こうへ渡ってしまって久しい祖母と父のことを思い出した1日だった。